現代アルジェリアへと続く道?

彼らは今尚『アラブの春』より過去に生きているのか、それとも未来の姿なのか。



CNN.co.jp : エジプト全土で衝突、死傷者数百人 政変から2年 - (1/2)
ということで二年を節目に「反革命」あるいは「第二革命」の様相がいよいよあらわになってきたエジプトさんちであります。まぁここまで予想通りの展開だとなんだか微妙な気持ちに。
エジプト大統領、3県で非常事態宣言 サッカー裁判後の暴動を受け 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
そして更にはそこにサッカー裁判の余波を受けての暴動が手をつけられなくなり非常事態宣言であります。順調にチュニジアと同じコースを辿っているエジプトさんち。
しかしまぁ大元となった去年のサッカー暴走*1もそうでしたけど、やっぱりエジプトでは微妙な政治問題にこうして「サッカー熱」が加わるとそれは燃え上がってしまうという、私たち日本人からするとあまり理解しにくい構図ではありますよね。
ちなみに一方で、『サッカーと独裁者*2』という本に詳しいんですが、そもそもエジプトの人びとの「サッカー熱」を煽り上手く政治問題のテコ入れに使ってきたのがあのムバラク前大統領だったんです。彼はその独裁制の正当性を守る為にエジプトにおけるサッカー熱をそれはまぁ上手く利用した。その熱を利用することで政権批判を中和させていたのです。彼の独裁がそれなりに上手くいってきたのはそういう要素もあるからだ、とその本では指摘されています。「エジプト人はサッカーに夢中になると、すぐに政治のことを忘れてしまう」なんて。
――そして、ムバラクは去ったが、そんなエジプトの人びとの「サッカー熱」は残った。
まぁこれもまた広義の『ムバラク時代の遺産』ということなんでしょう。しかしそれをまったく上手く制御できないモルシ現大統領。その後継たる彼はムバラクさんとはまったく逆に、その「サッカー熱」を制御することができずに、矛先を逸らすどころか政権批判に誘引させてしまっている。いやぁ愉快な構図です。
カダフィ亡き後のアフリカの混沌 「欧米諸国はいつか後悔するときが来る」(1/4) | JBpress(日本ビジネスプレス)
この辺はリビアカダフィさんもそうだったんですが、独裁という倫理的・道徳的側面からの評価ともかくとして、しかし彼らは国家の指導者としてそれなりに有能だったということでもあるんだろうなぁと。彼らは「善き」だなんてとても言えませんが、しかし「安定した」国家統治には少なくとも成功していた。


で、そんな暴動に対抗しようとするモルシさんの姿は、私たち日本人がこの一週間散々ニュースでも見てきた、あのアルジェリアの大統領に重なって見えてしまうわけです。

 3県では28日午前零時(日本時間同日午前7時)から30日間にわたって午後9時から翌朝の午前6時までの外出が禁止される。モルシ大統領は、エジプトの治安を脅かすものに対してはさらに踏み込んだ措置をとる用意があると警告した。

エジプト大統領、3県で非常事態宣言 サッカー裁判後の暴動を受け 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News

徹底して強権的なやり方でテロを抑え込むブーテフリカ大統領。そのやり方は、もちろん批判もあるわけですが、しかし国内的にはそれなりに賛成されてもいるわけです。だって、そのやり方が「安定した」統治に役に立ってきたから。
ブーテフリカ大統領「アルジェリアはアラブの春の「例外」」
そんな事実上の独裁状態一歩手前のアルジェリアには『アラブの春』がやってこなかった、ということはこれまでも言われてきたりしましたが、しかし別の見方をすれば1990年までには一足先に『アラブの春』に似た何かを通り過ぎてきたとも言えるんですよね。実際、アルジェリアは1962年のフランスからの独立後、北アフリカでももっとも期待されていた国の一つであったわけです。それこそ「第二の日本」と呼ばれる程度には。豊富な石油収入を背景として彼らは重産業を打ちたてようとした。 
――ところがまぁ見事に失敗し、その経済危機の結果として1989年には複数政党制を導入し、そして以降は絵に描いたようなお決まりのパターンであります。イスラム原理主義政党による政権獲得と、軍部によるクーデター。部族と宗教による内部分裂。内戦とテロによる社会の致命的な混乱状態。そして失敗国家の仲間入りへ。
そんな混乱状態をようやく抜け出したのが21世紀に入ってからで、ブーテフリカ大統領の(まさに今回私たちが目にしたような)強権的なやり方によって、どうにかその混乱状態から抜け出すことに成功したわけです。
かくして、その内戦終結から10年後、より大きな流れとしての『アラブの春』が到来することになる。


現代のアルジェリアは、そんな『アラブの春』よりも過去にいるのか? それとも未来にいるのか?