われわれは進歩している、たぶん

暴力の許容度は下がっている、おそらく。


【五輪柔道暴力問題】「一方的な信頼関係だった」 園田監督会見+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
ということで時流に乗ったせいか大盛り上がりの女子柔道日本代表監督の暴力(指導)問題であります。まぁタイミングばっちしというかなんというか。以前も書きましたけども、本当に殴って成長するのならば堂々とそうすればいいんですよ。でもそんなことあるはずありませんよね。
愛のムチだと言って殴ればキレイな教え子になる。「ありがとう」と語りかければ水が美味しくなる、のと一体どこが違うのかと言われると困ってしまいますよね。
と、バカにして終わりだと寂しいので少しだけ前向きに。


まぁ批判する人たちの気持ちも解らなくはないんです。こうした時代遅れにしか見えない暴力指導なんてバカげていると。確かにその通りであります。やはり情けなくなるお話ではありますが、それでも「着実に進歩している証」とも言えるんじゃないかなぁと。かつては許容されていた(無意味な)暴力がこうして問題になるという時点で、従来続いてきたこうした慣例が今回のように「騒動になる」という点では。
もちろん初めから無ければそれがベストでしょう。しかしそれでもかつてのように、当然視されたり、見過ごされたり、隠蔽されたりするよりはずっとマシなのだと思います。騒動になる、というのは前者のそれよりもおそらくよりマシになったのだと。
私たちは初めからそんな高等な道徳倫理の世界に生きているわけではないけれども、しかし、まったく進歩がないわけでもない。
こうして「騒動」になるという点で、それは生みの苦しみでもあるのだと。もしそれさえなかったら、つまりそれってまったく変化がないということでもあるんだから。まさか初めから「我々の素晴らしき日本社会には、こんな問題があるはずない」なんて思っていたわけじゃないんだし。



その意味では、体罰や暴力を伴った指導に対して、これまでまったく問題視してこなかった(僕のような)人間はあまり大きな声で文句を言えた立場ではないのだろうなぁと思ったりもします。だって実際これまで何も声を上げてこなかったんだから。こうして騒動になった時だけしたり顔で批判なんてできない。
もちろん常日頃から積極的にそれを言っている人であれば、今回の件でより大きな役割を果たしてくれれば。
小さな一歩かもしれませんが、しかし私たちの精神的進歩の着実な一歩であるのだと。
いやぁにんげんって素晴らしいなぁ。




女子柔道監督、迷走の末に結局辞任…そして内柴被告に判決。合わせ技かよ。 - QUIET & COLORFUL PLACE- AT I, D.
ともあれ、しかしまぁ今回の件で一番巻き添えで被害を被っているのは、特にピラミッドの裾野を形成する「地道にマジメにやってきた」柔道関係者だというのには同意するしかありませんよね。決定的なマイナスイメージの流布。いやぁ救えないお話であります。
一般に日本の「お家芸」とされる柔道をめぐる構造について。
でもまぁ結構どこの国でも問題になるお話ではあるのでしょう。そのスポーツが人気があり期待されるお家芸であればあるほど、むしろその『闇』は深くなってしまう。私たち社会からの期待――光が強くなればなるほど、その反対には深い影が生まれてしまう。
その根本的な構造としてはやっぱり今回の柔道もそれと似たような所にあったりするんじゃないかと。