欧州連合という一大政治プロジェクトが抱え続ける『原罪』

欧州連合に迫る『民主主義の赤字』への不満――統合を進めれば進めるほど主権は失われていく。それに彼らは耐えられるのか?


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37323
要約。

あ……ありのまま今起こった事を話すぜ!
『俺はギリシャ選挙の混乱っぷりを笑っていたら、いつの間にか自分も同じ立場に立たされていた』
な……何を言っているのかわからねーと思うが、
俺も何をされたのかわからなかった……
頭がどうにかなりそうだった……催眠術だとか超スピードだとか、
そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……

だいたいそんなかんじー。





まぁこれこそがギリシャの選挙とそれに伴う混乱以来決定的に明らかになってしまった、欧州連合そのものが抱える『原罪』であるわけですよね。
マクロな民主主義と、ミクロな民主主義の対立。一つの国家内にあるような「中央と地方」という単純な見方には納まらない、彼らのその潜在的な対立関係。「国家主権が奪われる!」かつては一部の国家主義者たちだけの専売特許と思われていたその疑義は、しかし普通の人々にまで普及してしまった。

 しかし今、想像力よりはるかに重要なものが抑制されて乏しくなっている。方向を転換する政府の力だ。

 すべてのユーロ圏諸国で財政協定が国法となっており、政策立案者はほとんど何もできず、赤字削減と改革の厳しい目標を守るしかなくなっている。欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ総裁が述べたように、選挙結果に関係なく、イタリアの改革は「自動操縦」で進められるのだ。

 では、有権者が自分たちが反対する経済政策を理由に現職の指導者を選挙で落とし、その挙げ句、新たな指導者が全く同じ政策の実行を強いられることに気付かされたら、何が起きるのだろうか?

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37323

美しいスローガンではない「ひとつのヨーロッパ」の、本当の姿。
『政治的正当性』をめぐる不毛なゼロサムゲーム - maukitiの日記
うちの日記でも散々書いてきましたけど、上手くいっているときはそれでも良かったんですよ。両者の意見が一致していれば問題は起きなかった。少なくとも見ないフリを続けることができていた。ところが両者の意見が割れたとき、欧州連合の意思と国家の意思と、その場合どちらが優先されるのか?
民主的選挙によって選ばれた政治家「ではない」人びとに、自らの政府が動かされているという現実について。しかもそれは自国の人間ですらない。顔の見えないブリュッセルの官僚たちによる政権の自動操縦。果たしてそれは民主主義に則っていると言えるのか?


欧州議会があるじゃないかって? なにそれおいしいの?


欧州連合における『民主主義の赤字』を放置し続けたツケを、ついに支払うことになりつつある彼ら。いつか時間が解決してくれるさと期待していたものの、ところが時間より先にその矛盾が臨界点に達してしまった。
かくしてブリュッセルからの「自動操縦」を逃れる為にこそ、より解りやすく過激な政治家を選ぼうとする。まぁぶっちゃけ不毛で、それでいて悲壮な戦いですよね。まるで口うるさい親の束縛から逃れようと、極端な非行へ走ってしまう子供のようであります。
「これはお前の為なんだよ」
「パパもママもほんとうのアタシをわかってくれない。あの(素行の悪い)カレだけがわかってくれる」



がんばれヨーロッパ。