人間愛護より動物愛護

無力な被害者たち、しかしその環境の差から生まれるもの。


動物実験化粧品の販売、EUで全面禁止に 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
動物実験禁止」ですって。まぁ何もやらないよりは確実にマシではあるのでしょう。おわり。でもそれだけじゃ寂しいので、例によって例の如く、以下適当なお話。

 11日に発効した禁止措置は、製造元がEU域外の製品も含め、すべての化粧品に適用される。

 欧州委員会は声明で、販売禁止の影響を十分に評価した上で、全面禁止を施行すべき決定的な理由があるとの判断に至ったと述べるとともに、全面禁止措置は「『化粧品開発は動物実験を行う正当な理由とはならない』という、多くの欧州市民の固い信念に沿ったものだ」と加えた。

動物実験化粧品の販売、EUで全面禁止に 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

まぁもちろんヨーロッパをはじめとする「進歩的な」人々によるこうした行為に対して、反論を上げることはできます。多分に自己満足に過ぎないだとか、あるいは優先順位を間違っているだろう、とか。それこそ本当に動物を守りたいのであれば肉食を一割でも減らした方がよっぽど効果があるだろうし、あるいは(そんな実験動物よりも恵まれないといっても過言ではない)貧困の極致にあってただただ死んでいく人間たちのことを一体どう思っているのか、とか。


しかしそれでも手段はともかくとして、『動物愛護』という目的自体に反対する人はあまりいらっしゃらないでしょう。不当に動物を苦しめるべきではない。確かにその通りであります。現代社会に生きる人びとにとっては最早、当然持つべき、良識の一つ。
つまり、このお話のポイントはここにあるわけです。『動物愛護』は別に、実利や合理性や理性によって導かれているモノではないのです。まさに感情として、本能として、精神が命じる衝動といっていい。それは奴隷制や人種差別や男女差別や独裁制に対する反対などと同様で、現代に生きる我々は進歩的となった故に、野蛮人ではないからこそ「当然そうあるべきだ」と確信しているのです。
だからこそ、そこに幾ら合理性や利益があるから、という点から反対することはとても難しい。
だって元々それは論理的帰結として導かれているものではないから。故にそこを反論したってまったく反論にならないのです。その根幹にあるのは打算や利害なのではない。故に議論の余地などない。ならぬものはならぬのです。


さて置き、ならばより強く感情としてあるだろう『人間愛護』の方だってやるべきではないか、というのはもっともな意見であります。まさに今回の動物愛護のように、暗黙の良識としてではなく、一律で法で全面的に禁止してしまえばいい。
でも人間の場合そこには独立した一個人としての被害者が居て、同時に利害関係者が無数に存在することになる。ぶっちゃけてモノを言える被害者と、利害関係者が居るということは、そこには必ず交渉の余地――政治的取引が生まれるということでもあります。そのバランスを適切に取ることができるのかというと、そんなことまったくありませんよね。いくら正しいことでも他国にまでそれを押し付けることなんて絶対に出来ない。
――ところが逆に、一方動物の場合はそんなことない。彼らは一個体として自発的な意思を(明示的な形で)表明することなんてできない、あるいは私たち人間にはそれを受け取ることなんてできない。そして国もない。
だからこそ、動物愛護はその善意の感情がほとばしるままに突っ走ることができるのです。身も蓋もなく言えば、相手の事情など慮る必要なしに、ただただ自分たちがやりたいように手を差し伸べることができる。無条件で前提なき無垢な弱者。その意味では保護対象としての価値は人間よりも動物の方がずっと「扱いやすい」のです。その価値の高低はともかくとして、しかし都合のよさ=広告価値としては、ある意味で人間を愛護するよりもずっと上位にあるのです。


飢餓に苦しむ人びとを助けたら独裁者が延命したとか、内戦に介入したらより泥沼になったとか、援助物資を送ったら闇市場に全て流れたとか、あるいは大国の権益とか。人間愛護をやるのはほんとうにもう複雑さと苦しさで一杯であります。
でも、動物を愛護するのはずっと簡単に出来る。だって彼らは文句を言わないから。
かくして世俗にまみれた人間ではなく、無垢な動物を持ち出して形而上の救済のシンボルとすることで、より訴求力のある存在へとプロデュースすることが可能となるのです。
想像された悲劇の被害者たち。
それは同時にまた、どこまでいっても想像上の存在として捉えるからこそ、現実では必ずぶつかる利害関係者たちの相反する矛盾だらけで泥沼の政治闘争劇に足を踏み込む必要がないということでもある。そしてそんな相手だからこそ、最後の一線では人間の都合を押し付けることだってできる。
だからこそ、それは強力なカードともなる。
より多くの人びとの感情に訴えかけるストーリーとしては、確かに人間愛護よりもずっと解りやすく救いのある物語であります。実際上の効果はともかくとしても、しかし掲げる看板としては素晴らしく扱いやすくリスクも小さい。
もちろん、そこにいっぺんの善意もありはしない、なんて言うつもりもありません。
が、しかし、この法案を通した政治家たちも、そしてその禁止に従うことを決めた企業たちも、結局はより扱いやすいテーマとしてそこに流れ着いただけなのだろうなぁと。市民たちに、自らの道徳的高潔さをアピールできる絶好の機会として。政治的・商業的利益の結晶。




相手の都合を考えれば考えるほど何もできなくなってしまう『人間愛護』と、相手の都合はほとんど何も考える必要がないからこそ気軽に出来る『動物愛護』。
いやぁ、なんというか、くすっとしてしまうお話ですよね。