料理も見た目が9割

ヒューリスティックな私たち。


ソムリエを欺くことなんて簡単だ:研究結果|WIRED.jp
まぁありそうなお話ですよね。

「わたしたちの脳の半分は、視覚と関係しています。味覚に割り当てられているのは、小さなパーセンテージのみです。そのため、視覚が常に優越するのです」と、スペンスは「ガーディアン」紙に説明している。わたしたちの食べる食べ物の色が味を決定づけるのはこのためだ。では、それがどの程度なのかを見てみよう。

ソムリエを欺くことなんて簡単だ:研究結果|WIRED.jp

一般に私たちが最も最初に触れる感覚器といえばどこまでいっても視覚である以上、こうした錯覚から逃れられることはないのだろうなぁと。以前の日記でも似たようなこと書きましたけども、私たちは人間である以上その『第一印象』から逃れることができない。
それこそ人間が動物だった時代から、まずその食物の見分けるのも結局は視覚情報から入っていたのだろうし。なんとなく見た感じたべれそう。なんとなく匂いでたべれそう。なんとなくこの味はたべれそう。


個人的にむしろ面白かったのはこちらの方であります。

もし視界を遮られて食べ物が見えなくても、当然期待されるようにほかの感覚が鋭敏になるということにはならないだろう。視覚障害者は、より容易に味や匂いを見分けて、より簡単にひとつの匂いに名前を割り当てることができるといっても、健常者よりも敏感に味や匂いを感じるわけではない。そして実際に視覚を失うことで、食事がよりストレスとなる可能性があり、弱視者(特に年齢が進んでいると)の食欲を減退させることにつながるという。

ソムリエを欺くことなんて簡単だ:研究結果|WIRED.jp

本来あるべき視覚からの情報がなければないで、やはり人間はストレスを感じてしまうそうで。当然あるべき判断基準がなければストレスを感じてしまう。所謂サプリメントの様なモノだけで生きていくのが中々難しい理由の一つでもあったりするのかなぁと。


ともあれ、このような「バイアス」「ヒューリスティック」といったモノはまぁ確かに今回のように人間の欠陥とも言うべき要素でもあるわけですけれども、しかし、こうした「思考の近道」は日常生活の大部分では役にも立っているわけですよね。こうしてショートカットしてしまうからこそ、私たちはそこまで一々悩まずに「なんとなく」生きていける。こまけぇことはいいんだよ方式。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130328/dst13032809580005-n1.htm
まぁそれが一世一代の大勝負で出てしまって困ってしまうことになる人もいらっしゃるわけですけども。


非合理だからこそ人間なのだ、なんて。
「適当さ」と、それが生み出す個性と - maukitiの日記
なんか昔書いた日記と同じオチに。