現代技術による仮想空間の強度限界

仮想空間と現実の境目。




仮想世界で悪役になると、現実の行動にも影響:研究結果|WIRED.jp
正直なんだかよく解らない実験ではあるかなぁと。

学生たちには、スーパーマン、ヴォルデモート卿、そしてただの「丸」という3つのアヴァターから、ひとつを無作為に割り当てられた。この3つはそれぞれに、英雄的な存在、邪悪な存在、中立の存在を表すものだ。それから学生たちは、各自が割り当てられたアヴァターとして5分間、ゲームで敵と戦うよう言われた。
ゲーム終了後、被験者は別々に目隠しをして味覚テストを受けた。まずはチョコレート味とトウガラシ味の飲み物を味見させられ、それから、チョコレート味かトウガラシ味のどちらか一方を、隣にいる参加者に渡すよう言われた。このとき、渡されたものがどちらであれ、その人物はそれを全部飲み切らなければならないと教えられた。

仮想世界で悪役になると、現実の行動にも影響:研究結果|WIRED.jp

僕としては元々10年以上のネトゲ人生から、必死にやってる仮想空間(ネトゲ)ではむしろ人の本性が出る、というのがある種の持論であるわけですけども、だからといってそんなアヴァターな人格が現実世界にまで影響を与えるのかというと、少なくとも現状ではかなり薄いのではないかとも思うんですよね。だって個人の嗜好や規範といった行動基準を縛るのは、何も自身内面からの影響だけではなくて、それこそアルノルト・ゲーレン先生のいう所の社会による制度概念によってアプリオリな規定をなされているのだから。


その意味で、この実験の一番よく解らない所は、ゲーム終了後に「目隠しして味覚テスト」をやっているところであります。
それってどう見ても現実世界ではありえない状況じゃないのかと。周囲の環境から隔絶され行動にまったく影響を受けないという時点で、とても現実世界とは言えない。むしろそれさえある種の『仮想空間』ですらある。
人間関係や地位やしがらみといったあくまで外的要因こそを、私たちは仮想空間で無視できる。だから現状のその境目って周囲の環境の差異でしかないと思うんですよね。

「人は仮想環境において、特定の存在や集団、状況に入ったり外れたりできるアヴァターを自由に選択できる」とユーン氏は述べる。「人がヴァーチャルな仮面をかぶると強力な模倣効果が起きることは、消費行動や精神医療など、さまざまな領域でもっと認識されるべきだ」

仮想世界で悪役になると、現実の行動にも影響:研究結果|WIRED.jp

その『模倣効果』が起きるという点の結論自体は同意できるところではあるんです。ただ今回の実験で証明されたのは、あるゲームでやっていたロールプレイは、また「別の」仮想空間にいっても意図しない所で模倣してしまう、という点の方ではないのかなぁと。
それこそ、ゲーム終了後に現実世界に帰ってきた後、それこそ自宅や学校や職場でスーパーマンやヴォルデモート卿になりきる、なんてこと心身が正常に機能している限りまずない。少なくとも、大多数の私たちはそれを意図して切り替えることは日常的にやっている。つまるところ結局は『仮想空間』だって「生身の」私たちが動かしているわけで。何かSFにあるような、全感覚没入型の装置があるわけでもない。だって現代技術においては仮想空間への没入感はどこまでいっても現実とのギャップを感じざるを得ないわけだし。
まぁやっぱり未来は、そんな認識のギャップを埋められるようになるのかもしれませんけど。でも少なくとも今は無理だよなぁと。故に私たちは、幸か不幸か、その模倣効果を境界線を越えてまで移動できない。現実を取り巻く社会はあまりにも強すぎて、それを無視して振る舞うことなんてとてもできないから。


みなさんはいかがお考えでしょうか?