「恐怖を感じる事故」と「実際に危険である事故」は必ずしも同一ではない

恐怖感と危険性が一致しない例。


それでも旅客機は車より安全だ | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ということで大騒ぎの飛行機事故であります。特にヒューマンエラーの可能性――副長にユーハブコントロールしたら速度低下を見逃して墜落――が高いと報道されていて、まぁなんだか色々ありそうなお話ではあります。

 メディアは今、アシアナ航空がサンフランシスコ空港で着陸に失敗した事故のニュースで持ちきりだ。巨大な旅客機が滑走路に衝突して炎上した大事故なのだから、無理もない。

 だが一方で、飛行機事故はめったに起こらないからこそこれだけのニュースになることも忘れないほうがいい。業界団体「エアライン・フォア・アメリカ」が1999年から2008年にかけてのアメリカで起きた事故を交通手段別に調べたところ、1億旅客マイルあたり(乗客1億人を1マイル移動させた場合)の事故率は自動車が0.72、バス0.05、電車0.05、飛行機0.01だった。つまり、自動車事故で死ぬ確率のほうが70倍も高いということだ。

 車同士が衝突したり歩行者をひいたりするリスクのほうがかなり高いというのに、飛行機事故ほどメディアの注目を集めないのは残念なことだ。

それでも旅客機は車より安全だ | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

で、また恒例のこうしたギャップが生まれてしまうと。飛行機事故コワイ。
まぁいつもの構図ではありますよね。以前の日記でも書いたお話ではありますが、私たちは一日に一人亡くなるような日常の事故よりも、一年に一回百人亡くなるような大事故の方を問題視してしまう。故に後者の方にリソースを割こうとする。だって実際に危険であるかは別として、後者の方がより私たちの感情=恐怖感に訴える事故であるわけだから。
――それは別に良いとか悪いとかバカとか賢いとかそういうお話ですらなく、わたしたちにんげんはそういういきものなんだなぁ、というお話なのでしょう。理性だけでなく感情で生きる私たちだからこそ。


さて置き、それだけじゃ寂しいのでしばしばネタとなる「なぜ私たちは自動車事故より飛行機事故を恐れてしまうのか?」についての適当な解答例。

  • 所要時間の違い
    • 上記引用先では「距離辺り」の死亡率が比較され、自動車事故のほうが10倍危険である、という結果が出ている。しかしこれって「移動時間辺り」で比べるとほとんど同じになる、という結果もあったりするんですよね。つまり、飛行機にしろ自動車にしろ、同じ時間だけ乗っていれば死ぬ確率はあまり変わらない。まぁやっぱり同じ時間当たりの移動距離は全然違うんですけど。
  • 「慣れ」の問題
    • 上記に関連して、私たちは普段それだけ自動車に接する機会が長いので最早その危険性と付き合うことに慣れている、ということでもある。麻痺しているとも言えるんですが、しかし逆に飛行機は一般的には自動車よりも未知の存在だと言える。そして未知とは恐怖感の源泉でもある。
  • 自らがコントロールできるか否か
    • 自動車であればまぁ大抵の人が自らで運転することができる。つまり、自分の技量によって危険性をコントロールする余地が生まれる。まぁそれも幻想だったりするんですが、しかし自分が介入できるだけマシと言える。一方で飛行機事故はそうではない。まさに今回の例のように「アレ」なパイロットに当たってしまった時、乗客である私たちは何もできず神に祈ることしか出来ない。


こうした説明例は、他の多くの危険性に関する錯誤についても同様に説明できますよね。単純に死者数だけを見て一単位辺りの危険性を誤解したり、未知の技術に恐怖したりする。私たちはいつだって、上記のような理由から、実際に危険であることと、恐怖を覚えることを混同してしまう。
まぁ上述したように、そうした人たちをバカにするというよりは、やっぱりそれは私たちが感情に支配される動物である限り克服できない宿痾であるのだろうなぁと生暖かい気持ちに。