民主主義を目指して、三歩進んでは二歩下がろう、七回転んで八回起きよう

ゴンドアの谷の詩風に。


あまりにも無邪気に「民主主義はすばらしい!」と持ち上げ過ぎた果てにあったもの - maukitiの日記
ということでいつも通りであれば適当に書き捨てておけばよかったんでしょうけども、しかし何故かこれまでになく――それこそ4年ちょっとこの日記書いてきた中で最も――見事に炎上しPVがとんでもないことになってしまった一昨日の日記であります。小市民には辛いイベントです。省エネも兼ねて、通常の日記では基本的に僕はこれまでに書いてきたお話は前提条件としてすっ飛ばしまくっているので、まぁだからこそ意図を伝えるのに失敗し誤読を招いてしまうのは不徳のいたすところではあります。なのでたまには以下個人的なポジション等について、適当に補遺的なお話を。
いつも以上にこれまでに書いたお話ばかりになるので「長文ウゼェ」という人や、「見たことあるわーこれもう数年前に見たことあるわー」という人はどうぞタブを投げ捨ててください。




基本的には上記日記は徹頭徹尾「一部の」「無邪気な」欧米のリベラルな人たちの他国の民主主義をめぐる騒動についての、一喜一憂っぷりを揶揄した日記ではあります。それまでは『アラブの春』をあれだけ煽っておいて、こうして「民主主義と自由の相克」に立ちすくんでいる愉快な人たち。
ただ、そうはいっても僕は基本的には民主主義信奉者であるし、むしろリベラルな民主主義が歴史の終着点であるというのフクヤマ先生の『歴史の終わり』的なお話について、とても共感を覚えるお話だと思うほどであります。
民主主義が進むことには歴史の必然であり、(現時点では)終着点であると言えるだろう、と。


――しかし問題なのは、その道程は必ずしも平坦でも一方向でもないだろうとも思うわけで。
トーマス・キャロザース先生が仰るように「権威主義政府を打倒しても、民主主義政府への移行が必ず進むとは限らない」のであります。むしろその移行は楽観的な人たちの期待とは裏腹に、しばしば、長期停滞し権威主義と民主主義のグレーゾーンで停滞する事の方が多かったりする。
あの時の彼らの「民主主義と自由の相克」のとても愉快な解決方法 - maukitiの日記
それこそ昨日の後編日記でも書いたように、まさにその先駆者たるヨーロッパや、アメリカでさえもその歩みが平坦であったことなどなかった。いわんや現代のアラブ諸国をや。
そんな『(血と欺瞞に満ちた)自身の経験』があるはずなのに、あるいはそんな『(血と欺瞞に満ちた)自身の経験』があるからなのか、特に「一部の」「無邪気な」欧米の人たちはその民主主義への変化の歩みが現在のエジプトのように少しでも停滞した際に殊更に大騒ぎしているのは、まぁなんというか愉快なお話だと思ってしまいます。


ちなみに、そうした構図は当然欧米の人たちだけでなく、もちろん私たち日本におけるアラブの春の称賛者たる「一部の」「無邪気な」人たちでもあったりするんですが、しかし、こうした日本の人たちって基本的にまぁまったくの無害でもあるんですよね。
彼らはそれを称賛するけれども、だからといって現実に『アラブの春』の当事者たちに何か介入をするわけではない。
自分の国さえ平穏無事であればそれでいいという一国平和主義者的な「世界のことなんてどうでもいい」と思っているのかどうかは解りませんが、結局『アラブの春』を称賛しても、その後はそんな熱狂を国内向けに転嫁するばかりで、実際にその動きについて直接に現地の当事者たちに何かするわけではない。それが良いか悪いかはここではさて置くとして、なのでまぁ日本のそれは無力である故に無害なので無視していいとは思うんです。


ところが善意にあふれた「一部の」「無邪気な」欧米の人たちはそうではない。
まさに彼らは国際メディアや政治家への働きかけを通して、それはもうあれやこれや実際に口を出そうとする。いやまぁ、やっぱりそれは心底善意からではあるのでしょうけど。
ただ、先日の日記でも書いたように、それって現実的な処方箋にまったく欠けた中身のない綺麗事でしかない。しかもそんな「民主的な選出」という点に原理的にこだわるものだから、結果として、その対立状況をむしろ固定化させているほどであります。
今回のエジプトがそうなる可能性はあまり高くないとは思いますが、しかし、そんな彼らの「民主的」であることへの原理的な執着があの1990年代のアルジェリア内戦を、どうしようもなく泥沼に引き込んだこともまた事実でもあったわけで。
アルジェリア内戦 - Wikipedia
もちろんそれは軍のクーデターによって非合法化されたことによる過激化の帰結でもありました。しかし同時にまた、そうしたクーデターによって追われた当時のイスラム主義政党を、欧米メディアが中心となってあまりにも一方的に擁護し、同時にクーデターでイスラム政権樹立を(今回のエジプトとは裏腹に)「未然に」妨害した軍事政権を強い調子で非難したことによって、内戦の激化と長期化を招いたことは決して否定できないでしょう。特に(うちの日記でもよくニュースソース元として利用する)フランスのAFPニュースなどは、最終的にはどう見ても擁護しようのないテロ組織となる、FIS(GIA)擁護の先頭にも立っていたわけで。かくして彼らは国内で政府軍と戦う中でテロ――というか虐殺というレベル――を繰り返し地元住民を殺害しまくった結果住民の支持はまったく無くなっていくのですが、それでも欧米社会の多くはアルジェリア政府は「対話すべき」であると、その後も長期にわたって彼らと擁護する一方で、アルジェリア政府に圧力を掛けていたのです。まぁこの辺りは今でもそれなりに議論の割れる難しい問題ではあります。
あの時アルジェリアで起きた軍事クーデターは、「民主主義を守るために民主主義を殺した」ことは、果たして正しかったのか?
ちなみにそんな風に欧米からものすごく責められていた時代であったにもかかわらず、今年の1月に起きたプラント襲撃事件で一躍有名になった例の日揮さんは当時においてもアルジェリアと変わらぬ付き合いを続けていたからこそ、そこに「特別な関係」があると言われていたりするのでした。
翻って現在、あの『9・11』を経た私たちは、そんなアルジェリア政府とも協力して、アルジェリア対テロ戦争の一部を戦っていたりする。いやぁ時代の流れを感じますよね。





http://blogcritic.hatenablog.com/entry/2013/07/12/011156
光栄なことに私の日記からわざわざエントリまであげてくださったbloggercandidate様の内容にもあるように、重要なのはやはり長い目で見守ることなのでしょう。

これはエジプトの「民主主義」の欠陥ではなく、エジプトがまだ民主主義国家ではないことの証明です。であるがゆえに、外国はこの点に関心を持ったのだと思います。外国の人間は次のように理解しました。「一国が民主主義化するには気の遠くなるような長い時間と国民の忍耐が必要なのだ」と。

http://blogcritic.hatenablog.com/entry/2013/07/12/011156

民主主義への移行は進んだり停滞したり、時には後退したりもする。その繰り返しと積み重ねこそが、長期的に住民の政治参加の意識を成長させていくんじゃないのかと。それなのにまさに「革命的な」変化を期待するあまり、いちいち何かある度に口を出し、早く進めろもっと上手くやれとせっつく彼ら。自分たちのことは棚に上げて。
木を見て森を見ていない人たちというかなんというか。まぁやっぱりめんどくさい人たちだよなぁと。ケナン先生のソ連封じ込め*1でも見習えばいいと思います。