地政学的安定か、民主主義か、世俗的政権か

どれかを求めれば別のどれかは失われてしまう。当事者たちだけではない、見守る側の彼らにもある愉快な葛藤。


エジプトの政変はクーデターか否か - WSJ
ということでアメリカをはじめとする欧米各国での「クーデターの定義」論争などから見ても解るように、エジプトの今回のクーデター騒動はアラブ諸国はもちろんのこと、それを見守る欧米社会にも論争を呼んでいるのでした。
――一体この動きについて私たちはどういう態度を採ればいいのか? 
もちろんこれまでの『アラブの春』を賞賛してきた手前今更そのクーデターによるちゃぶ台返しを手放しで認めるわけにはいかないけれど、しかしその選挙で選ばれたはずのモルシ政権はどう見ても失敗政権でもあったわけで。更には彼らが宗教的に非寛容的な政策を徐々に推し進めてもいたのも事実であった、でも彼らは選挙で選ばれた政権なわけだし。もちろんどう見てもこれは軍事クーデターなんだけど、でもこのままモルシさんが政権を担ったままだと良くなる可能性はとても低そうだし更には地政学上重要な位置にあるエジプトという国家そのものが下手すればより致命的な混乱状況に陥るかもしれない。
しかしまぁ気持ちは解らなくはないんですよね。つまり当然彼らは民主主義的な正当性を信じているけれども、だからといってその国家の不安定化による地政学上の悪影響を無視することもできないし、同時にまた(もちろんそれ以前からも多少はあったものの)『9・11』以降のイスラム主義の台頭を内心恐れてもいる。


かくして民主主義の広がりを無邪気に望む欧米諸国の人びとのお馴染みの悩み、いつもの葛藤が誕生するわけであります。地政学的安定か、民主主義か、世俗的政権か。もちろん全てが達成されれば何の問題もない。しかし悲しいことにその望みはほとんど場合において、どれかを得ようとすればどれかを失わなければならなくなる。

 エジプトの政変は、確かに突然で決定的なものではあったが、暴力的ではなかった。また、少人数ではなく軍部全体として実行されたものだ。

 国務省報道官は、エジプト軍が行動を起こしている最中に、「外交用語では、軍が民主的に選出された大統領を拘束して自宅監禁にした場合、クーデターとみなすのか」との記者団の質問に対し、「確認がとれていないのでコメントするつもりはない」と答えた。

 おそらく重要なのは、米議会にエジプト軍に対して幅広い共感があることだ。米議会では、モルシ氏と同氏のムスリム同胞団への愛着は極めて限られている。カンター下院共和党院内総務は「エジプト軍は長年にわたって米国の重要なパートナーであった。現在のエジプトにおいてはおそらくただ一つの信頼できる国家機関である」と述べた。

エジプトの政変はクーデターか否か - WSJ

だからこそその態度が一貫する事はなく、大抵どっちつかずに終始する事になる。
それまでは『春』を殊更に持ち上げておきながら、今回のようにしれっと軍事クーデターの事実上の黙認やあるいは「それはクーデターではない」なんて言い出してみたり、挙句の果てには「他国の事に口出しをするのはやめよう」なんて無責任なことを言いだしたりする。もちろんそれが結果として上手く言った事もあったでしょう、しかし、そうではないことも結構あったりする。それなら初めから黙っていた方がマシなんじゃないか、というのはかなり一理あるお話ではありますよね。


結局のところ、この構図ってまぁいつもの国際関係――先進国からの途上国への「民主化圧力」におけるジレンマが(より複雑になって)復活している、という見慣れたお話でしかないのだろうなぁと。それこそこれまでも何度も繰り返されてきた構図。途上国に対して民主主義(民主化を手段として使うロクでもない反政府勢力だったりもする)を無邪気に煽っては、その結果のもたらす混沌っぷりを見てとっさに冷静さを取り戻し立ちつくす欧米各国のリベラルな人びと。
他にも、こうして少しでも民主化運動が盛り上がった所には余計なお節介というほどに構う一方で、そのくせまったく(弾圧がより厳しいからこそ)民主化運動が盛り上がらないアレやソレの国にはまったく相手にしない。そんな欧米諸国の民主化運動推進に関するダブルスタンダードもあったりする。


まぁぶっちゃけめんどくさい人たちではありますよね。