エジプト大騒乱で忘れられゆく問題の本丸

ナセル革命以来続くエジプトの構造的問題。


エジプト国立博物館、丸ごと略奪 騒乱に便乗、内外に衝撃 - 47NEWS(よんななニュース)
ということであの『虐殺』あるいは『鎮圧』――と双方は主張している――騒動の裏では、国立博物館が略奪されてしまったそうで。まぁなんというか、イラク戦争の際にあったバグダッド博物館の例を思い出してしまいますよね。
歴史的・文化的価値の理解できない野蛮人、と私たちから見て断罪することは簡単ではありますが、しかし、それこそ「博物館があったところで今日のパンは食えない」というのもまた人間社会における一つの普遍的真理であるわけです。だったらそれを腹の足しにするようなモノに換金してしまえばいい、というのはまぁ追いつめられた人々にあっては別に不思議ではない心理状況なのではないかと思います。
『文化』なんて結局のところ、まさに私たちが暢気にエジプトの状況を見ているように、衣食住が足りてこそ重視できるものなのだから。




さて置き、ある意味でこの騒動は現状のエジプトの象徴的な事件の一つではあるかなぁと思うんですよね。目を引く対立の裏で進む略奪。つまり、現状のエジプトの混乱は軍部と同胞団の対立にこそあるわけですが、しかしそのもう一歩先には「政治と社会に不満を抱えた貧しい人々の怒り」というものがあるわけで。
――その不満や怒りが、ああして二大政治勢力による対決の間に、別の場所で噴出している。
現在の対立構造である、イスラム主義や民主主義というのは実はどこまでいっても副次的問題に過ぎなくて、むしろ本丸はこちらの博物館の略奪にあるような経済問題にこそあったんじゃないのかと。2000年以降からの経済自由化は、全体としての経済成長は実現したものの、しかし更なる貧富格差と失業者を生み出す要因ともなり、それが反政府運動へと発展していったわけで。


そもそも『ムスリム同胞団』が1920年年代の誕生以来、しばしば政府当局から弾圧対象とされ続けてきたにも関わらず、こうして生き延びそれどころか地道に成長し続けてきたのは、単にエジプトにおいてイスラム主義者が殊更に多かったわけではないんですよね。彼らはむしろ、それこそナセル時代から始まったエジプトの国家改革である近代化や工業化や世俗化といった社会変化から「取り残された」人たちの受け皿となってきたのです。彼らはそうして苦しみ途方にくれる弱者たちに、何故貧困で苦しむ羽目になったのか、どうすれば貧困から抜け出せるのか、その道を自信満々に指し示してきたのです。
イスラムこそが解決だ!」信じる者は救われる。
そうやって支持者を増やし続けてきたからこそ、エジプトの歴代独裁者たちが経済的に失敗すればするほど、彼らは政治勢力は逆により底辺層に根付いていった。つまり、ムスリム同胞団の歴史というのは、イスラム主義者たちの歴史であると同時に、貧しく経済成長から見捨てられてきた人々の歴史でもあるのです。独裁政府はそうした人びとを補助金などでどうにか繋ぎとめようとしてきたものの、輸出資源のないエジプトでは結局それは不十分な対処療法に過ぎず、一方でムスリム同胞団はそこから漏れる人たちに対しての唯一といっていい受け皿となってきた。そうした支持拡大やり方の是非はともかくとして、しかし戦略的には非常に優れたものであり、故にそのエジプトのムスリム同胞団の方式はアラブ世界の至る所に輸出されていくのです。
そしてついに、食糧高騰と経済危機が引き金となって始まった『アラブの春』がもたらした民主的選挙によって(長年の野党弾圧によって、エジプト軍部を除けば彼らは事実上唯一の全国政治組織であった)ムスリム同胞団は、別に革命の主導的役割ではまったくなかったにも関わらず、その政治的勢力によって見事に政権を握ることに成功するのです。
――ところが政権についた後、当然の帰結ではあるんですが、彼らは貧しい人たちを救うために経済建て直しを目指すのではなくイスラムの実践こそを目指してしまった。長年指摘され続けてきた経済問題であった高い失業率や政府の場当たり的な経済政策などは脇に置かれ、それどころかエジプト経済の重要な産業であるはずの観光業にダメージを与えることさえやってしまった。
かくして、腐敗した政権を打倒したにもかかわらず、まったく好転しないエジプト経済。本来ならば大多数のエジプト国民にとって民主主義というよりも、むしろ末端にまで行き渡る経済成長こそが求めていたものだったはずのに。
ムスリム同胞団の致命的な戦略の失敗。というか何故自分たちがここまで大衆から大きな支持を集めることができたのかを理解していなかったのかと心底不思議であります。もし、政権を握った彼らが本気で経済建て直しこそを最優先の目標に掲げてさえいれば、その後になし崩し的にイスラム国家だって実現できていたかもしれないのに。まぁそれはそれで、エジプト経済における最大の既得権益集団であるエジプト軍部と決定的な対立を招くことになったでしょうけど。あるいはだからこそ、モルシ政権はそこに手を出せなかったのかもしれません。
どちらにしても彼らは「急がば回れ」を実践できなかった。


エジプト国民が本来最も求めているはずの「明日のパンを心配せずにすむ暮らし」について。そもそもムバラクさんが倒されたのは、まず独裁政権による腐敗したエジプト経済構造があって、だからこそ彼らはそうした独裁政権を倒そうと立ち上がったのに。
しかし、その後釜に座ろうとしたのが、そこに全く興味のないイスラム主義者と、そもそもの腐敗構造の源泉であるエジプト軍部だったというのは、まぁ心底気の抜けるお話ではありますよね。
かくしてエジプト国民は、既に失敗したムスリム同胞団と、既得権益の象徴であるエジプト軍部、というあまりにもあんまりな二者択一を突きつけられている。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38506
ともあれ、個人的には最早現状として出来ることといえば、上記リンク先で述べられているように「とりあえずは混乱を収束させ政治的に安定させるべきだ」という意見には賛成するしかないのは確かなのです。

 エジプトの抑圧を和らげることができたら、次のステップは政府と協力して経済の再生を試みるとともに、エジプトが軍国収奪政治に陥るのを防ぐことだ。クリーンな政府と成長への回帰を実現できれば、政治体制に多少の正統性を取り戻すことができるだろう。

 秩序と経済成長が戻ってくれば、その時には、独立した裁判所や報道の自由、より良い教育など、民主主義が存続・繁栄するために必要な市民社会の制度機構がこの国に根を張るチャンスが生まれる。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38506

でも、正直『秩序』はともかくとしても『経済再生』はこのまま混乱が収まってもあまり実現できる見込みはないよなぁと。まさに同胞団によるモルシ政権はその実現にまったく見込みがなかったからこそ見捨てられたのだし、ついでにいうとエジプト軍部は「それ以前から」失敗し続けてきた結果、ムスリム同胞団による政権の誕生をもたらしたわけで。
だから以前から指摘され続けてきた、エジプトの革命は乗っ取られた、というのは限りなく正しい認識であると思うんですよね。本来経済問題であったはずが、いつのまにかイスラム主義か民主主義か、という争いに変化してしまっているという点で。もちろん独裁政権と民主的正統性を持つ政権というのは、腐敗の少ないより効率的な経済構造と切っても切れない関係にありますが、それでも最も選ばなければいけなかったのは「誰がエジプト経済を建て直せるか」という問題であったはずなのに。
その意味で、エジプトの革命は見事に乗っ取られてしまっている。


かくして提示された選択肢は、ぶっちゃけ「エジプト経済の建て直し」という本来の視点から見れば、もうどうしようもなく正答ナシにしか見えない二者が並ぶことになった。どう見ても正答がないのに、それでもどちらかを選ばなければいけないエジプト国民。
どちらがよりマシなクソだろうか。
いやぁまさに民主主義の真髄を見ているようですよね。