痛みを感じよ、と脳は言った

悲しいから泣くのではない、痛いから泣くのだ。



脳にとって社会的なつながりを失う心の痛みは肉体的な痛みと同じ - GIGAZINE
僕の関心領域に密接したものすごく面白いお話だなぁと。
「人間は生まれながらに善なのか? 悪なのか?」という昔からある人間存在の本質についての疑問に対し、脳科学などの生物学の進歩によって「人間は生まれながらに社会的動物である」ということがハッキリ言えるようになってきた昨今の私たち。今回の研究もそれに連なるモノであるのでしょう。ホッブズ先生の「万人の万人に対する闘争」でもなく、あるいはルソー先生の本質的に孤立状態あるという「人間不平等起源論」でもない、それこそもっと昔のアリストテレス先生が仰った「人間はポリス的動物である」という人間の本質についての考察に近い所に辿りつきつつある、現代研究の最先端。
ほんともう――『優生学』という概念でそんな人間の振る舞いについての生物学上における研究を遅らせた――ナチスは余計なことをしてくれましたよね。ようやくそんな人種的ヒエラルキーに対する激しい反発から生まれた極端な「文化こそが全てである」という意識から抜け出し、それなりに真っ当な議論ができるようになってきたことは喜ばしいことではないかと思います。

実験の内容は、ゲームの中の2人のキャラクターとともに被験者はボールを順番にトスしていきますが、ある時点から、被験者だけが"仲間はずれ"にされボールが回されなくなるというものでした。この仲間はずれはゲームの世界での話であり、現実世界では何の損失もないのですが、被験者は傷つけられ、脳は痛みを感じることが分かりました。さらに、脳が痛みを感じる部位は、肉体的な苦痛を感じた場合にこの痛みを処理するために活性化する部位と同じであることが判明しました。このことから、脳が感じる社会的な痛みは肉体的な痛みと非常に似ていることが明らかになりました。

脳にとって社会的なつながりを失う心の痛みは肉体的な痛みと同じ - GIGAZINE

「精神上で受ける痛みと、肉体的に受ける痛みは、脳にとって同質である」
まぁこれまでもずっと「人間は社会的動物である」というようなことを何度も書いてきた僕のようなポジションからすれば、さもありなん、という感じであります。ただ、そもそも論を言ってしまえば、実は私たちってこうしたことを学問というよりも、それこそ日常の経験上常識として知ってもいるんですよね。
――つまり『イジメ』という形で。
多かれ少なかれ社会生活を生きる私たちにとって、その内部構成員たちから嘲笑・からかい・罵倒・無視されることは、やはりネガティブな方向で大きな効果があることを、私たちはほとんど常識として知っているでしょう。それは単純に子供たちの間でのイジメというだけでなく、大人になっても――最近また話題になった『追い出し部屋』のような――効果はやっぱりあるのです。故にそれは肉体的懲罰とほぼ同じ効果を持つ『制裁』として、精神的懲罰はほとんど古今東西どこの社会でも用いられてきたのです。

被験者は、実験後にゲーム中で仲間はずれにされたことでどれだけ傷ついたかについての感想を尋ねられましたが、その疎外感が強ければ強いほど脳の肉体的苦痛を処理する部位はより活動的になっていたということです。

脳にとって社会的なつながりを失う心の痛みは肉体的な痛みと同じ - GIGAZINE

子供たちの間でのイジメが重症化するのは、こうした理由があるからなんですよね。特に「学校」という閉鎖環境こそが生活=社会=人生のほとんど全てである――その後の放課後の「遊ぶ」時間を含めれば更に割合は大きくなる――子供たちにとって、そこで疎外されることは、単純に様々な社会グループを同時進行で「住み分ける」一般的な大人と比較してより大きなダメージを受けるのは当然の帰結なんです。
だからこそイジメ被害の対策において、子供たちが社会生活のせめて残りの半分を占めるであろう「家庭生活」で両親にきちんと相談できる環境が重要であり、そのことが最悪の事態を回避するための救いとして、その対策の中でも数少ない実効性のある助言として言われたりするのです。
社会からの疎外感=苦痛を少しでも和らげる為にこそ。



あなたの魂に安らぎがありますように。