されど平和は進まず

戦闘の終結=衝突の終結、ではないという悲しい事実。


シリア内戦の死者、1月末時点で13万6000人超 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
そういえば結局『ジュネーブ会議2』のあった先月の死者もほとんど変わらず――というかむしろ激化したと言っていい位だったシリアさんちだそうで。

【2月2日 AFP】非政府組織(NGO)のシリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)は1日、1月末時点のシリア内戦の死者が少なくとも13万6227人に上ったと述べた。

 昨年12月末時点の死者は13万433人。アサド政権と反政府勢力の間の戦闘やイスラム武装勢力との戦闘で、その後6000人近くが死亡した。

 英国を拠点とする同監視団の幹部、ラミ・アブドル・ラーマン(Rami Abdel Rahman)氏は「1月は(2011年3月の)内戦開始以来、戦闘が著しく激化した月だった」とコメントした。

シリア内戦の死者、1月末時点で13万6000人超 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

まぁこの辺は当初から結構懸念されていた事態でもあって、つまり、「停戦交渉の会議があるからこそ」彼らはいつ停戦してもいいように現状の支配地域を少しでも多くを得るためにむしろ一生懸命戦った、という身も蓋もない構図があったりしたわけですよね。その振る舞いは、単純に利害関係からすれば効果的であったと言うことはできるでしょう。昔から言われているように、戦場で奪われた結果を会議で取り戻すことなんて無理なのだから。
ジュネーブ会議の存在こそが、彼らをより一層の戦いに駆り立てたという構図。いやぁ救えないお話ですよね。


別にこの件に限ったお話ではないんですが、内戦だろうが国家間のそれであろうとまぁ当たり前の帰結として、こうした外部からの(善意による)介入というのは必ずしも解決に向かうわけではない。どころかかえって状況を悪化させたり、結果的に解決までの時間が長くなるだけだったり、あるいは紛争当事者のどちらか一方のみを利する結果になる、ということさえしばしばあったりするんですよね。
ウィリアム・ショークロス先生なんかは『Deliver us from Evil』の中でこうした事例をして、例えば南北戦争などで諸外国からの介入があった場合どんな事態になっていただろうか、と問うています。結果として不完全ながらも奴隷解放の端緒となったあの悲惨な内戦だったわけですけども、もし外部からの介入でそれが妥協によって停戦されていれば、そこまでの達成は見込めただろうか? と。
まぁこうした考え方は、他の多くの場合にも当てはめられる思考実験ではありますよね。
もちろん人的被害を減らすために僅かでも停戦交渉の確率に掛けようとすることを責めることはできませんが、しかし結果として「最後までやらせなかった」果てにあるものは必ずしも長期的な人的被害にはつながらない場合もある、ということも考えておかなければならない可能性の一つではあるのでしょう。


その上で、では外部からの介入の是非をどう考えるのか、と言われるとまぁやっぱり難しい問題だよなぁと。それが完全なものですら裏目に出る可能性があるというのに、いわんや不完全をや。