集団的自衛権行使への持参金

得るものと失うもの。


自公 集団的自衛権行使容認で合意へ NHKニュース
まぁかなりプロレスっぽさはありましたけども、これで内も外も固まってきちゃったかなぁと。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303319204579641400588941762
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303319204579643874274845930
外はこんなんですしねぇ。集団的自衛権の全盛期といえば冷戦時代なわけでしたけども、当時の東側陣営ではなく現在の『中国』さんちの台頭によって、日本が変わるベクトルを得ることになったのはまぁ中々面白いお話だとは思います。
不確定世界の新旧『アジアの虎』たち - maukitiの日記
この辺は以前も書きましたけど、時間経過や中国という要素だけではなくて、むしろ東南アジア諸国などの自立心の向上こそが現状を招来させたのではないかなぁとやっぱり思います。最近でもそんな風に大国に良い様にされたくないという『自我』『自立』の目覚めとして話題になってるウクライナなんかよりも既にGDPの大きさなんかでは彼らの多くは越えちゃっているわけですしね。
巨大な地域覇権国家が誕生しただけでなく、防波堤・後ろ盾を望む小~中規模な国々も誕生した。
東南アジアでは、そんなアメリカ直行とも中国とも違う「第三の道」としての存在価値を日本に見出されているのでしょう。




ともあれ、日本ではともかくとして、世界中で集団的自衛権が当然の権利であると見られているのはこういう相互利益が望めるからという理由もあるわけですよね。つまり、軍隊=防衛費の負担を分担することができれば、自国のみでそれを賄うよりもずっと安く済むから。果てのない軍拡競争を食い止めるための、とても実効性のある選択肢の一つ。
しばしば成功例と語られるヨーロッパの軍事費削減は、こうした体制から生み出されたモノでもあるわけですよね。まぁ結果として削減しすぎて、ユーゴ紛争などではヨーロッパ内部の問題ですらも身動きがとれなくなってもいるわけですけど。
もちろん一方で、そうした行為そのものが危機を招来するという見方も存在していて、それには確かに一定の説得力はあるでしょう。まさにかつてのドイツや日本がやったように、相手が「対応」を進めれば進めるほど、その前に決定的な一撃を与えようというインセンティブは魅力を持つようになるわけだから。
――その権利を持つことに対して、費用と便益、どちらが大きいか?
まぁ賛成するにしても反対するにしても、まさに上記フィリピンがそうしてくれるように、その比較で議論してくれればいいのではないかなぁと。費用の方が大きいと思うならば反対すればいいし、便益の方が大きいと思うならば賛成すればいい。ただ権利を認めることと直結して「戦争をできる国になる!」とかいう批判はちょっとアレすぎるというか……。なんか別のお話でもした気がしますけど、それって既に集団的自衛権を認めながら平和を当たり前に志向している大多数の外国(ヨーロッパでも大多数)に心底失礼なお話ですよね。
いやまぁ中国や韓国、あるいは日本の自民党が死ぬほど嫌いなように「お前が嫌いだからお前のやることには全て反対だ」というのも、それはそれで一つの潔い考え方ではありますけど。