将来世代の利益について語るのは無敵感がすごいよね

征服王の『王の軍勢』っぽい。強すぎる固有結界。


集団的自衛権の行使容認、閣議決定で県内の声
そろそろピークアウト感が出てきたので集団的自衛権のお話を見ていて思った適当なお話。

「子連れの若い人も会社員もいた。本心から叫び、悔しいという顔をしていた」。越谷市の元中学校教諭倉橋綾子さん(66)は30日、首相官邸前で憲法解釈の変更に抗議した。5歳と7歳の孫がいる。「祖父母の世代のつけが孫の世代まで行ってしまう。子どもたちが将来、戦地に送られるかもしれない」と危惧し、「憲法解釈の変更が許されるなら、裁判所も法律も憲法もいらない。司法がばかにされている」と憤る。

集団的自衛権の行使容認、閣議決定で県内の声

その「祖父母の世代のつけ」って賛成反対どっちでも言えちゃうよなぁと。将来世代の利益を持ち出して、現在の行為の正当化を図ろうとする人たち。もちろんこの人に限った話ではないし、むしろ反対派と同じく賛成派にもそうやって擁護する人も少なくないので、まぁとっても両義的であり故によくある話と言ってはそれまでなんですけど。


ただ、こういう言い方って、ぶっちゃけあんまりフェアではないよなぁと。それを言っちゃおしまいなんですよ。それが本当に真実なのか、子供や孫たちが何を望むのか、実際には現時点で確認しようがなく、だから大抵言ったもの勝ちにしかならない。いくら現在劣勢だからといって、援軍としてそんな想像上の多数派を並べられても困ってしまいます。
――将来では子供や孫が反対(賛成)するからよくない! なんて論理は無敵すぎますよね。子を想う深すぎる親の愛には勝てない。
もちろん確実に解ることだってあって、ほとんどデメリットしかない選択肢なんかは論外でしょう。しかし、今回の件のようにメリットとデメリットが混在する問題においては、まさに現在の賛否がそうであるように、誰がどんな『利益』を望むかはその人にしか解らないわけで。その意味で現在生きている人が望んでいないから反対(賛成)だ、というのは説得力はあります。だってその人は実在しているのだから。
でも、将来世代というのは今は存在せず、彼らが生きるだろう未来になってから初めて何を望んでいるか明らかになるわけで。もしかしたら実際に言っている通りにかもしれないし、そうじゃないかもしれない。にも関わらず確信的に将来世代の利益を代弁しようとするのは溢れんばかりの善意があるのは理解できますけども、面の皮が厚いとしか言いようがありませんよね。


この辺は原発議論でも同じ構図ではあって、だからこそ反対派の少なくとも一部は同じような種類の人たちに見えてもしまうんですよね。
「将来世代の為に反対だ!」
でも将来の子供たちが原発を「望まない」なんて確実にいえるわけないですよね。もちろん現在それを望んでいない人が居ることは理解できます。でも、現在でさえ割れているそれが、将来の日本人も(それこそ現在の大多数の外国でそうであるように)安くて安定した電力を望むのか、それとも絶対的な安全性を望む故に原発を否定するのかは解らないじゃないですか。
それなのに彼らは「将来世代の為に」っていう。まるでまだ見ぬ彼らが何を望むのか予め解っているように確信して。


子供が将来何を望みどうすれば幸せになるか、すべては私が知っている! 黙って言うことを聞けばいい!
まぁそういう親御さんも少なくないですけど。でもそれってつまり、概ね善意の勝手な押しつけであり、ぶっちゃけ自身の願望の投影でしかないよなぁと。


現時点で実在せず確認のしようがないからこそ、そこに無限の援軍を呼ぶことができる。いやぁとっても不毛な議論であり、確たる未来を見通せない人間の希望であり絶望だなぁと。故にやめられない私たち。
「(私の考える)将来世代の利益」対「(私の考える)将来世代の利益」
まさに矛と盾であり、それを言いだすと決着がつかない感がすごい。ついでに、それで勝つにしろ負けるにしろしまいには「あとは歴史が証明してくれる」という身も蓋もない台詞を吐くことになる。