未完成な『忘れられる権利』についての生贄となっているグーグル

グーグルに放り投げたって何も解決しないのにね。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41153
グーグル、「忘れられる権利」の削除要請に対抗策 | ギズモード・ジャパン
Googleの「忘れられる権利」を行使した人・該当ページを公開するサイトが出現 - GIGAZINE
まぁ予想されていた展開ではありますよね。これってグーグルの(判決に反対する為の)嫌がらせでもあると同時に、ある種のリスクヘッジという意味でも「対抗策」であるんですよね。だってそんな検閲一歩手前の行為を、何の説明なしに内部のみで完結させられるわけないじゃないですか。
これまでの日記で何度も書いてきたように、そもそも民主主義国家における基本的人権である「自由権」の多くは「政府からの自由」であるわけで。それは企業や私人である私たち個人の関係性の前提とするものではないんですよ。だからその問題を解決するには、何か別の手段――市民の合意を用意するしかない。でも自由を愛する現代社会において、個人や法人間の権利のバランス調整なんてもの、容易に用意できるわけがない。

 事態はさらに発展した。ガーディアンが問題の記事は公共の利益にかなうと主張してリンク削除について公に苦情を申し入れた後、グーグルが3日夜にガーディアンの記事へのリンクを元に戻したのだ。

 「明確なケースもあるが、大半の事案はグレイゾーンに入るだろう」と法律事務所ホーガン・ロヴェルズのパートナー、エドゥアルド・ウスタラン氏(ロンドン在勤)は言う。「グーグルは今、ある記事が公共の利益にかなうか否かを判断する責務を負った。一企業にとっては難しいことだ」

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41153

まぁそうなるよなぁと。彼らは事業を成功させるためにグーグルという企業で働いているのであって、専門外である『公共の利益』が何かを決めるかではないのに。
――ていうか、そもそも、もしそれをグーグルが「何が」公共の利益に当たるのか勝手に決められたらそっちの方がずっと問題ですよ。何が『忘れられる権利』に適合し、何が適合しないのか一企業でしかないグーグルに決めさせるなんて、ぶっちゃけ手抜きとしか言いようがない。


だからこの権利について、彼らが一貫して拒否しているのも理解できるお話なんですよね。だってそれに協力しても拒否しても責められるのは確実なんだから。
一体そのグレーゾーンを誰が判断するのか? という問題について。その大問題を『要請』という言葉で誤魔化している辺りどうしようもないよなぁと。いっそ中国などの検閲国家がやっているように、裁判判決の『命令』にしてしまえばグーグルも楽だったのにね。ところが『要請』という体では、グーグルは拒否しても協力しても、結果的にそのグレーゾーンの判断に関与することになってしまう。


法律議論で昨今の私たちが痛感しているように、問題はいつだってそこなんですよ。だからこそ「例外規定のない法は悪法だ」なんて言われるわけで。*1
判断の難しいグレーゾーンについて。
確かに明白なケースも存在するでしょう。日本で言えばたとえば某共有ソフト流出騒動のなんとかバーガーとかは確実にこのケースに当てはめられると言っていい。でも、そうではないケースの方が、おそらく、ずっと多い。公共の利益という一線を越えるものと、越えないもの。
例えば政治家の削除要請は拒否できるとして、では、引退や落選した元政治家は? 政治家の家族は? 国家公務員は? 地方公務員は? 嘱託職員は? 公益法人職員は? 宗教団体は? スポーツ選手は? 審判は? 芸能人は? 企業役員は?
そしてそれはその個人の地位にとどまらず、行為内容や経過年数によっても当然変化するでしょう。
重犯罪は? 軽犯罪は? 犯罪ではないものの脱法に近いもの――最近の例でいえば某大学サークルの路上昏睡のアレや、あるいはSTAP細胞騒動の彼女は? 「自称」目の見えない作曲家であった彼がその権利を申請したら?
更にこうした例は各国によって判断基準が変化するのは確実でしょう。これら複雑に絡み合うバランスを一体どうとればいいのか?



こんなのをグーグルさんが一律に判断しろ、というのもまぁ無理な話ですよね。やってもやらなくても訴訟されるかもしれない。彼らは(まさに中国でやっているように)検閲に協力的であればあるほど独裁や情報統制に荷担していると責められるし、逆に拒否すれば傲慢であるという謗りは免れない。

「人々がこうしたことをすべて知り、決して許さないように社会が変わるか、あるいは法的、技術的な枠組みが人々が再出発できる方法を見つけるか、どちらかしかない。突き詰めると、これは何が忘れられるべきで、何が忘れられるべきではないかに関する政治的判断だ」

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41153

だからこそ、これはどこまでいっても政治的問題なのです。そしてその答えは『市民』である私たちが民主的プロセスを通じて出すしかない。
一方で現状と言えば、そもそも私たちは「何が」社会的高潔なことであり公益と呼べるのか、コンセンサスを得ることができていない。それなのにグーグルにはそれをやれだなんて、まぁ自分のことを棚にあげ過ぎて鼻で笑ってしまうお話ではありますよね。彼らはどこまでいっても一企業でしかないのに。


故にグーグルに判断を任せたって根本的には何も解決しないんですよ。でもそんな難しい問題から目をそらしたいし、ついでにそこまでやる気も優先順位も高くないからそうしているのだ、と言われるとまぁ消極的には納得するしかありませんけど。


そりゃ「Don't be evil」なんて掲げるグーグルに丸投げして後からやいやい言ってる方が楽だしね。死ぬほど無責任な態度ではありますけど。

EU司法裁判所の判事らはグーグルに対して、検索の目的に関連して、また経過時間を考慮して「妥当性がなく、不適切あるいはもはや適切でない、ないしは過剰」なデータの削除を求めることは可能だと判断した。その上で、プライバシーが侵害された人々の権利が一般市民の関心を上回ったと述べた。

グーグルは「忘れられる権利」を尊重すべき=EU司法裁判所 | Reuters

いやぁ他人事感あふれるお話であります。裁判所自ら『命令』という一線を越えられない癖に、グーグルには『要請』という形でその責任を背負わせようとする。
未完成な『忘れらる権利』についての生贄となっているグーグル。この問題の構図としては概ねこの辺りなのかなぁと。


いやぁ『忘れられる権利』って一体どうすればいいんでしょうね。もちろん必要なことは認めますけども、一体どうやってそれを運用すればいいのか、僕にはさっぱり解りません。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:ちなみにこのグレーゾーンの判断基準を自らに有利になるように「恣意的に」操作するのがロビー活動の真髄でもあるんですけど、それはまた別のお話。