「地味で儲からない基礎研究はスポンサーがつかない」の真逆にある世界

知識は買収されるもの?


「ストレス」という概念を80年前に生み出した研究の裏に潜む巨大産業の影とは? - GIGAZINE
うーん、事実として興味深いものの、ここから何が言いたいのか、よく解らないお話。

さらに調査を進めた結果、セリエ博士だけでなく多くのストレス研究者に対してタバコ産業が多額の研究資金を提供している事実を発見しました。ペティクルー氏は「セリエ博士はノーベル賞候補に10回もノミネートされた偉大な科学者であることは確かです。しかし、タバコ産業との緊密な協力関係にあったという事実を無視して、彼のストレスに関する研究を語るならば事実を正視することにならないでしょう」と述べています。

「ストレス」という概念を80年前に生み出した研究の裏に潜む巨大産業の影とは? - GIGAZINE

そうした『知識の買収』というのは昔から、それこそ戦前からもあったんだよね、というお話以上に何を読みとればよく解らないなぁと。


実際、こうした構図は、しばしば公的支援の重要性が語られる「金にならない」とされる基礎研究とは真逆な世界ではありますよね。「金になるからこそ」インセンティブが生まれそこでは膨大な資金が投入される。そして研究費の不足に苦しむ研究者たちは助かる。まぁ一般にwinwinであると言っていいでしょう。
上記ストレス研究のように、スポンサーになるということは単純に新製品開発に寄与する研究というだけでなく――現代ではより重要になった――広告戦略に役に立つお話でもあります。例えば企業にとって、自身の商品が「健康や病気抵抗に効果がある」という研究を支援することは、間接的なPR戦略としてかなり効果的ですよね。
それはまぁ現代世界においてごくごくありふれたお話であるし、むしろそれは一定規模以上の経営者たちにとって当然やるべき義務の一つですらあるでしょう。あるはずの商機を逃すことは経営者としては失格だし、新製品開発の研究を怠るのでは将来的にジリ貧であります。


例えば石油企業が「地球温暖化懐疑論」に金を出していたのは有名な話だし、逆に再生エネルギー(原子力も含む)業界にとってはむしろ温暖化議論が危機的であればあるほど彼らの利益につながる以上、そうした研究分野のスポンサーとなるのは合理的であるでしょう。


こうした構図で問題なのは、企業が研究支援すること自体では決してない。むしろそこに金が払われるからこそ、多くの研究の発展に寄与している。個人的にはあまり好きではありませんけど、所謂CSRにもかなった振る舞いでもあるでしょう。
――ならば何が問題なのかと言うと、そうした専門知識を利用して「ウソ」をつく、あるいは誤魔化そうとすることなんですよ。
専門家を買収して、あるはずのものをない、ないはずのものをある、と言わせたりする。それはまぁ当然糾弾されるべき行為ですよね。上記で例に出した「地球温暖化懐疑論」がその事例に当てはまるかどうかは、まぁさて置くとして。最近少し話題にもなった医薬品の許認可問題は、この構図の一環でもあるわけで。賄賂を払って知識を買収する。こうした行為を見逃せとは絶対にいえない。
さて、翻って上記ストレス研究の大家がタバコ産業から資金援助を受けていたというお話。
もちろんこの研究がタバコ産業に都合の良い形で歪められていたとすれば当然非難されるべきでしょう。でも、少なくともそんなことはないわけですよね。彼がスポンサーの為にウソをついた、なんてこともありそうにない。それなら別に何か責められるようなこと何もしてないよなぁと。ついでにかつてのタバコ産業は、今ほど悪魔扱いされていなかったわけだし。


むしろ今回の件から読み取れるのは、営利を追求する企業が存在することはある種の研究にとって(資金に恵まれるという点で)やっぱり素晴らしいことだよね、というお話にしかならないんじゃないのかと。
その反対側には、利益にならないから地味だからと、資金が無くて苦しむ研究者たちの世界があるわけだし。


みなさんはいかがお考えでしょうか?