ほとんどの娯楽産業が通る見慣れた最適戦略

金額による提供サービスの変化。




アイテム課金に関して 島国大和のド畜生
ということで『アイテム課金』についての面白いお話。まぁ同意するしかありませんよね。市場の縮小による必然の帰結。ゲームは今後もっと「金の掛かる趣味」になっていくか、あるいは衰退してなくなっちゃうか、という究極の二択。いやぁ悲しいお話ですよね。おわり。

 結局、今、鬼の首を取ったかのように責められているコンシュマーでのアイテム課金は商習慣違いで責め立てられている側面が強い。

 今後、コンシュマーメーカーはいかに追加課金アイテムを自然な形でゲームに取りいれるかを模索していくだろう。
 PS4やxboxOneの情報を見てもそうだ。
 appストアやandroidマーケットの御無体な盛り上がりを見てもそうだ。

 旧来のコンシュマーユーザーはそれに対して、嫌悪感を示すだろう。

 この嫌悪感がなんらかの発明や、なし崩しで解消すれば、まだコンシュマは生き残るだろうが。
 基本的に、どこの分野、どのジャンルでも、「基本無料+アイテム課金」になっていくと思う。

アイテム課金に関して 島国大和のド畜生

でもそれだけじゃ寂しいので以下適当なお話。




さて置き、かくしてジョジョパワプロなどなど、「生き残る為に」アイテム課金等に手を出し始めたコンシューマな業界ではありますが、まぁそれが追い詰められた果ての苦し紛れな戦略というだけなのかというと、実はそこまで間違ってはいないんですよね。それはある意味で娯楽業界において、普遍的な戦略の一つであるわけで。
――つまり、追加料金を払うことで「より」高品質な娯楽を提供する、というモデル。
まぁこれが既存のパッケージ売り切り型とまったく別方向を向いていて、故に上記リンク先のお話にあるように「商習慣違い」という形で責められているのはおそらくその通りなんでしょう。でも同じような娯楽産業において、こうしたやり方ってそれはもう皆やっていることなんですよね。それこそ『良い席』が高いのは当たり前だし、よりメインサービスの雰囲気を楽しませる為と言いながら周辺関連商品を売るのは当たり前だし、娯楽産業というのは多かれ少なかれ如何にしてお客に「気持ちよく(追加の)お金を払ってもらえるか」という点こそが勝負の分かれ目であるのです。


ただ、理解しておかなければいけないのは、こうした構図って完全に提供側だけの都合というわけでもないんですよね。むしろそれは私たち消費者が望んだ世界でもあるのです。より日々の生活が時間に追われますます「自由な時間」などなくなっている現代人にとって、追加の料金を支払ってでもいいから、より時間効率に優れた楽しみを得たい、というのは変えがたい強烈な欲求であるのです。
現代人たる私たちは、ごく当たり前に、お金で(心地よい)時間を買う。
だからこれってかなりの面までwin-winの構図であり、だからこそ、娯楽産業ではそのやり方が圧倒的な多数派であるのです。


その意味で――幸運にも――未だその道に足を踏み入れたばかりのゲーム業界が、発展途上にあり色々とマズいやり方なのはその通りなのでしょうけど、それでもこの変化は止まらないのだろうなぁと。こうした変化を「進化」「適応」「退廃」と呼ぶのかは個人個人であるのでしょうけども、しかし、特に娯楽産業においてはある意味で普遍的な構図なのだから。
支払う金額によって提供サービスが変化する。より大きな楽しみを求める人は大きな金額を、最低限でいいと思うのならばそれなりの金額を。
おそらくこのままいけば『アイテム課金』のようなやり方はより洗練され、いつかこの形態が当たり前になる時代がやってくるのでしょう。そして、そうでなければ、おそらく今あるようなゲームという市場は完全に淘汰されることになる。
まぁそれが現状のゲームユーザーにとってどちらがマシなのかというと、やっぱり色々ご意見ご感想があったりするのでしょうね。変わってしまう位ならいっそ死んだ方がマシだ、なんて。


がんばれゲーム業界。