朝日新聞が生んだ『泥沼』に、突撃し続けた人、それを相手にし続けた人、見て見ぬふりを続けた人

争いは同じレベルでしか云々。


社説:慰安婦報道 国際社会に通じる論で - 毎日新聞
先日書いた日記朝日新聞の『一部誤報』が生み出した鬼子たち - maukitiの日記に関してほぼ同じ論旨――それは慰安婦問題本質への影響と言うよりは誤報によって杜撰な議論を誘引した点こそ重大な失態である――が毎日新聞社説から出たのは正直意外というかなんというか。でもまぁ時制的にはうちの日記のが一日先に書いたのでセーフということでひとつ。


ということで毎日社説でも書いてくれたおかげで逃げ道も用意されたので、先日の日記では(両サイドから熱心なお客さんがきてしまいそうだったので)微妙にオブラートに包んでいた部分のお話を、以下適当に。

 慰安婦問題とはそもそも、戦時下において女性の尊厳が踏みにじられたという、普遍的な人権問題だ。国際社会に通じる感覚と視点で議論していくことが求められる。

 にもかかわらず、朝日新聞が吉田証言を前提にした報道を続けたことで、国内論議慰安婦の強制連行の有無にばかり焦点があてられた。その結果、女性の人権という問題の本質がゆがめられたのは残念だ。もっと早く訂正すべきだった。

社説:慰安婦報道 国際社会に通じる論で - 毎日新聞

もちろん一部には毎日新聞ポジショントークによる朝日との差別化という意味も含まれるのでしょうけど、それでもこの社説は、概ねその通りだよなぁと同意するしかありません。
――結果として朝日新聞の不作為がもたらしたものは、慰安婦問題が目指すべき議論とは似て非なる泥沼だった。
同レベルの敵を生み出した要因。もちろん誤字脱字など重箱の隅を突くような、議論の本筋ではなく枝葉末節のミスを論うようなバカが悪いと言うことも当然出来ます。ただそれを言ったらおしまいですよね。多少同情できる面はあるにせよ、ふつう大人の社会であれば多くの場合、そうした『隙』を見せた方も同じく悪いと怒られるのは確実であります。自身が訴えたい本筋からズレた余計な揚げ足取りをされるのが嫌だったら、出来る限り自己防衛すべきなんですよ。
朝日新聞はそれが重要問題であると解っていればこそ、もっと慎重にやるべきだったし、もし穴があるのならばさっさと潰しておくべきだった。真摯に慰安婦問題を人権問題として取り組もうとする人であればこそ、朝日新聞にそう働きかけるべきだった。
自身の過ちをどうしても真正面から認めたくなかったのか、時間によって自然消滅してくれると楽観していたのか、それとも議論が不毛なものになることをむしろ望んでいたのか、あるいはまた何か別の理由があったのかは知りませんけど、結果として彼らはここまで「杜撰な主張」を放置し続けたことはやっぱり否定できませんよね。
そしてそんな「杜撰な主張」に見合う「杜撰な反論」は、当然の帰結として、殺到し続けた。


よくネットで引用されるネタに「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない」というAAがありますけども、もう少し言い換えれば「両者のレベルが噛みあってこそ、争いは生まれる」のです。
もしそこに大前提としてレベルの差があれば、そもそも争いにすらならなかったのにね。


今回の件で意外、もしくは案の定というべきか、正直こうした毎日社説のような朝日新聞への批判が――右側からはともかく――左側な人たちからもあまり大きな声になってないのは正直意外だったなぁと。まぁ彼らは彼らで今回も当然出てきた「バカな慰安婦全否定論者」と戦うのに忙しいのかもしれません。だから多くが今回の国際的には・議論全体には影響はないという、悲しくなるほどの正論を言うことになる。
いやまぁその通りなんですけどね。
――でもそれってどこまでいっても対処療法でしかないわけで。いつまでも新たに登場し続けるバカに対して、不毛な各個撃破を繰り返すだけ。理想的なあるべき国際的議論はともかくとして、しかし現在進行の国内議論の正常化の為にこそ、延々とバカを呼び寄せてきた誘蛾灯そのものこそをどうにかしなければいけなかったのに。別にこんなのはどこの国にだってあるお話で、だからこそどこの国でも「国内議論に配慮する」ということは、その多くは冷静な国内議論の安定化と正常化の為にこそ日常的に行われているのです。誰かが反語として言っていたように「今すぐ愚民どもに叡智を授ける」なんてことできはしないのだから。
結局、我らが日本ではそうした朝日新聞の責任を問う声は大きなモノにはならずにむしろ擁護さえされ、挙句には逆サイドにある安部政権の今になってから、泥縄的にこんな声明が出てしまう有様。
この問題の根本的構図にある「そもそも同レベルの争いになるような土俵」という点を是正することこそ、慰安婦問題を前進させることに必要だったはずなのにね。まぁこんなこと今更言っても心底後の祭りで結果論でしかないし、ひたすら傍観者を決め込んでいた僕なんかが偉そうに言うのもふざけたお話ではありますけど。


見当違いの方に突撃する人たちと、仲良くそれに付き合って一緒に踊り続けた人たち。どちらも前に進んでいないという意味では、ぶっちゃけ同レベルと言うしかありませんよね。不毛で低レベルな争いはとっととやめるべきだったのに。しかしそうはならなかった。だからこそ、日本のズレた慰安婦議論という『泥沼』は温存され続けた。
いやぁ30年以上無駄な時を過ごしてしまいましたよね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?