毎年この時期に思うこと

今更その「日」を変えることなんてできない。


終戦記念日、靖国神社に3閣僚参拝 安倍首相は玉串料奉納 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News
東京新聞:朴大統領 「慰安婦」解決求める 光復節で演説 関係改善に期待:国際(TOKYO Web)
ということで昨日は終戦記念日だったそうで。毎年恒例の玉串料ネタが盛り上がる季節。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41464
先日ネタにしていたFTさんちの評論で、そもそもタイミングが違うから米国では第一次大戦100周年が盛り上がらないんだよね、というお話があって日記では色々書いたものの、身も蓋もなく言ってしまえば概ねその通りだよなぁとしみじみ思います。

 その理由の一端は、米国から見れば開戦からまだ100年経っていないことにある。確かに、宣戦布告がなされたのは1914年8月のことだったが、ジョン・パーシング将軍率いる米国海外派遣軍(AEF)が戦闘に加わるのは――ジョージ・M・コーハンが当時作った歌の表現を借りれば「向こう側(over there)」に渡るのは――その3年後のことだった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41464

記念日の盛り上がりに大事なのはタイミング、という身も蓋もないお話。
終戦の日 - Wikipedia
それこそアメリカにとってはそれは『9・2』だし、中国にとっては『9・3』だし。『8・15』が殊更に特別なのは、せいぜい日本と韓国くらいですよね。ほんともう何で一緒の日にしちゃったんだ。いやまぁそれらはあくまで「対日戦勝」なのだから朝鮮は別に日本と戦っていないからだ、というとそれはもう根本的な韓国建国神話の領域でそもそも論になってしまうのでこれはこれで地雷なんですけど。


ともあれ、今更言っても何の生産性もないお話ではありますけど、どっちかズラせばよかったのにね。そうすれば現状の不毛なやり取りの半分くらいは無くなる気はします。どちらも同じ日にしてしまったものだから、一方の国内でやったことは同時にもう一方の国家へのメッセージとなってしまう。どうせなら(後から決めた)日本の方が問題が少なそうなので変えちゃえばいいのにとは思いますけど、まぁうちも無理そう。どうしてこの日にしてしまったんだ。


日本にしろ韓国にしろ、やっぱりもう数十年経ってしまった以上簡単じゃないのは当然で、だからこそその歴史問題と言うのはいつだってめんどくさいことになっているんだよなぁと。古今東西どこでも共通する歴史問題について。


同じ日にしてしまったことの不幸。