朝日新聞は正戦論の『jus in bello』の概念を学ぶべきだと思うよ

その目的と手段は釣り合っているか?


批判回避へ論点すり替え…朝日の28日記事検証 : 特集 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
原発事故調書も公開されつつあり、少し前から続く従軍慰安婦のそれと併せて、朝日新聞における「両」吉田さんちのニュースでまぁ盛り上がってるそうで。結局、これらって朝日新聞の持つ『手段』についての認識の問題なのだろうなぁと個人的には見てて思ったりします。


もちろん、その善意の目的自体には同意する人も少なくないでしょう。従軍慰安婦のようなことを二度と繰り返してはならない、あるいは原発事故の真実を明らかにしたい。おそらく多くの人が賛成することだとは思います。
――でも、だからといって、その為には手段として「何をしてもいい」ということには絶対にならないわけで。
朝日新聞珊瑚記事捏造事件 - Wikipedia
まさに(大多数がおそらく賛成はする)サンゴ礁の危機を訴える為だからといって、取材者自身がサンゴにキズをつけて警鐘を鳴らしたという記事が、大きな批判を巻き起こしたように。
朝日新聞が自身の検証ではスルーしていますけど、問題は目的の正しさじゃないんですよ。そこに概ね反論はない。重要なのは手段が適切だったのかという点こそ。一般に民主的な社会であればあるほど、そうした手続きの正しさというのは重視されるわけで。結果が良ければいいではないか、なんて。

「戦争における法(jus in bello)」には、戦争が正しく行われるための条件を2つ定めている[4]。
戦闘員と非戦闘員の区別(差別原則)
戦争手段と目標との釣り合い(釣り合い原則=不必要な暴力の禁止)
しかしこの"jus in bello"の遵守は十字軍兵士には求められなかった。西欧の「正戦論」はキリスト教世界内部における戦争の限界を定めたものであり、異教徒や異端者との戦争において遵守する義務が無く、特に「戦争における法」が無視される残虐な戦いが容認された[4]。

正戦論 - Wikipedia

昔の十字軍らしく「正義や大義の為ならば手段なんて概ねどうでもいい」なんて風に、それが彼らのやり方であると開き直るのならばそれはそれで一つの考え方だと思いますし、それを本気でやろうとするならばそれはそれで彼らの企業としての選択なので別にいいと思います。まぁそれってイエロージャーナリズムって言うんですけど。
その意味で、やっぱりこれってむしろ「マジメな」同業他社ほど朝日のそれを批判しなければならないのではないかなぁとは思うんですよね。だって朝日新聞問題のそれって単純に「反日」や「捏造」というよりはむしろ、目的が正しい報道ならば何をやってもいいのか、という点なわけだから。そんな朝日流のやり方と同列として見られては困る、と言う真面目な報道関係者は一杯いるでしょう。
”朝日叩き”を始めた読売の「本気」といつまでも”朝日叩き”ができない田原氏の「限界」
この構図からすると、上記読売をはじめとする新聞各社が一気に朝日検証を検証しているのは、まぁ解らないお話ではありませんよね。文字通り『風評被害』を一番受けるのは、それこそ安易な結論やデマゴギーに走らずに真面目に取材や裏取りをしている(少なくとも自分ではそう考えている)それ以外の報道機関となってしまうわけだから。


朝日新聞の採った目的ではなく手段の正しさについて。そのやり方は容認されるべきものだったのか?
みなさんはいかがお考えでしょうか?