国境線のレコンキスタ

(神聖不可侵だった)国境線は死んだ、のか?



http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42081
まぁ概ね同意できるお話ではあるかなぁと。ただまぁ当然ではありますが、ヨーロッパだけのことしか考えてなくて少し生暖かい気持ちにはなってしまうなぁと。

 この危険な過程をスタートさせたのは実は西側だとロシアは主張している。北大西洋条約機構NATO)が1999年にコソボ紛争に介入したこと、そして2008年にコソボを独立国として承認したことがその発端だとしている。

 このプロセスについては、EUの中でさえ議論がある。しかしクリミアと違い、コソボは隣国に編入されたわけではなかった。コソボは独立を志向した、旧ユーゴスラビアの一地方だった。この過程でセルビアコソボの境界が変更されることはなかった。またコソボ紛争は、ユーゴスラビア解体後に戦いが何年も続くという文脈の中で起こった出来事だった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42081

これまでも何度か書いてきたお話ではありますが、やっぱりロシアがこうした論理を持ち出すのはまったく不思議ではないんですよね。コソボは独立だったがクリミアは併合でしかない、と反論することは概ね正当化に十分な論理ではあるでしょう。ただ、それでも、コソボを独立させた上で「事実上の既定路線として」欧州連合に加盟させようとしているのと、クリミアを独立させた上で「事実上の既定路線として」ロシア併合を選挙によって実現したのは、一体そこにどれほど差があるのかと言うとまぁぶっちゃけ端から見ている分にはそれほど変わらないとすら言えてしまうわけで。
ついでに、長年続いたコソボ紛争と比較して、あのウクライナ危機が2014年から唐突に始まったかというとまったくそんなことはなくて、それこそオレンジ革命以来今日まで地続きだったのは間違いないでしょう。
そんな風にコソボの事例をプーチンさんは意図的に「悪用」してみせただけ。


ともあれ、まぁぶっちゃけこんなのは「どちらが先に悪を為したのか」なんて不毛な水掛け論でしかありませんよね。大事なのは今起きている現実そのものであります。

 もし欧州が今再び、そのよりどころが歴史的なものであれ民族的なものであれ、各国が隣国の領土の一部の権利を主張し始めることを許してしまえば、そのプロセスが欧州大陸を激しく揺さぶる恐れがあるのだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42081

概ね欧州連合が浸透したヨーロッパで「すら」国境線の変わる可能性に怯えるようになった2014年。まぁ中国が決定的に台頭しここ数年来はほぼ日常のように東シナ海などでの『揺さぶる』ニュースに接している私たち日本からすると、何今更間抜けなこといってるんだざまぁ感はありますが、やっぱり人は自らの身で痛い目に合わないと学習しないので仕方ないかもしれませんね。
21世紀の今だからこそ領土問題が流行る理由 - maukitiの日記
クリミア併合の起きる前に書いた二年前の日記なのでまぁ見事に展望を外していますけども、それでも以前は(欧米を中心に)そうした牧歌的な安心感があったのは間違いないでしょう。ところがそうした無邪気な安心感は消えつつある。
ここで更なる問題を呼び起こしかねないのは、これまで――といってもせいぜい冷戦後期からの数十年程度の伝統でしかないんですが――あった『国境線不可侵』という教義が、逆説的にその信仰心を高めてしまっている点であります。つまり、単純に「失地を取り戻せ」というレコンキスタな感情だけでなく、「今ある領土を死守しろ」という感情をも同時に燃え上がらせることになる。
そこで用いられる論理は文化的・民族的な歴史を持ち出しての正当化であるでしょう。「〜故にわれらの土地を守らねばならない」なんて。すると起きるのは、本邦でも現在進行形で見られる領土問題をめぐる風景そのものであります。両者の主張が声高に叫ばれれば叫ばれるほど、そのまま両者の感情に油を注ぐことになる。
不可侵であり非日常でしかないという安心感故に半ば無視できていた軋轢を、私たちは嫌でも日常の近くにあることを思い出すことになる。
それは単純に隣国から領土を取り戻せという感情だけから生まれるわけではないんですよ。むしろ相手からのこれは我らのモノであり取り戻そうとは努々思うなよ、という防衛宣言だって同じ感情を生み出すことになる。これからはよりカジュアルな国境線移動の時代になるかもしれないしならないかもしれない。どちらにしてもやってくるのはカジュアルな領土問題という『熱』。


それはまさにトゥキディデス大先生がペロポネソス戦争に関して述べた国際関係における普遍の警句そのものでしょう。「まず両国に戦争への懸念があり、故に両者に備えを進めさせ、それを見た相手国は最悪の恐れが実現しつつあると考える」のだと。
衝突が不可避であるとの考えこそが、衝突をもたらす主因となる。
国境線変化の懸念こそが、変化をもたらす主因となる。


いやぁおっそろしいお話ですよね。
がんばれ人類。