宇宙船地球号の囚人たちのジレンマ

疑心暗鬼が生む全滅競争の時代は再びやってくるか?



新たな核時代:紛争のリスクが高まっている理由:JBpress(日本ビジネスプレス)
ということで、普段「核なき世界を」なんてとっても素晴らしい理想を唱えてくれる私たち日本では、何故かあまり人気のないイラン核問題を前提にしたお話であります。それこそ『唯一の被爆国』として注力すべきなのはこうした問題であるべきだと個人的には思いますけど。まぁでも現実的な発言力=国家として影響力がない以上見守るしかないよね。この辺は良くも悪くも結局は上記のような属性を持つ日本と正対比する「唯一の核攻撃実行国」であるアメリカの「善意」に頼るしかないのは皮肉が効き過ぎてハラショーで愉快なお話だなぁと常々思っています。



ともあれまぁ(新たな核保有国を生んでいるという意味で)贔屓目に見ても成功とはとても言えないものの、一切の「廃絶」はともかく最低限度の「抑制」という意味では、それなりに現実的な最善手として機能してきたのがNPT=核拡散防止条約だったわけですよね。発効からちょうど45年。こちらもやっぱり原理的な平和主義者な皆さんからはとっても不人気で日本ではさっぱり顧みられませんけども、それでも、無いよりはずっとマシな平和を提供してきてくれた。

 優先事項の1つが、核拡散防止条約を維持することだ。この条約が生きていれば、隣国が核兵器を開発しているかもしれないという各国の不安を払拭し、核兵器の拡散を食い止めることができる。イランが(北朝鮮のように脱退せずに)条約に加盟し続けたのは、極めて重要なことだった。

新たな核時代:紛争のリスクが高まっている理由:JBpress(日本ビジネスプレス)

そもそも、冷戦期においてあれほどのオーダーで――全人類を何回全滅させられるかというバカみたいな単位で――核兵器戦力が高められたのは、その核兵器の「使用」によってではない、という所がポイントであるでしょう。
つまり、実際の使用状況ではなく、むしろ敵国に見られる兵器のカタログスペックと配備状況こそが、両者の不毛な競争を加速させていたわけですよ。「相手はより進んでいるのではないか」という疑心暗鬼から生まれた恐怖が「せめて相手と同等以上の核戦力を」という狂気を生み、米ソをあのバカげた競争状態へと陥らせた。
まるで教科書に載るような典型的な、ザ・囚人のジレンマ
核兵器は本質的に(まさに北朝鮮なんかがやっているように)威嚇し誇示する為の兵器である一方で、同時に開発していながら隠蔽することも求められる兵器であるわけで。その核兵器の本質的性質は、必然の結果として、お互いの疑心暗鬼を必ず生む兵器でもあるのです。
――だからこそ、半ば既成事実として既に核保有国となった国よりも、それを隠して進めようとする獲得最初期の混沌の方がずっと大きな問題なんですよね。だってその「隠されている」という点こそが、破滅的なチキンレースを生む土壌となるわけだから。
その意味で、現在世界にある核体制が事実上の「やったもの勝ち」状態だというのには概ね適切な指摘であると言っていい。いやまぁそもそも初期核保有国の五カ国の正当性も、まさにその最初に「やったもの勝ち」である故に認められてもいるんですけど。


いやぁほんとそびえ立つクソみたいな体制ですよね。


しかしその中でも少しだけマシなクソ――互いに手札をオープンにするというのは、平和の現状維持という意味で、やっぱり意義があるわけですよ。隠したまま疑心暗鬼の狂気に「再び」陥るよりはずっとマシだから。
核兵器について外交する余地、あるいはその包括的管理という条約が重要なのはそういう点に尽きると言っていい。まぁやっぱりそれは「減らす」ことに直結するわけでは必ずしもないものの、だからといってこの体制を捨てるなんてとんでもない。
誰かいい考え浮かばないものですかね?


がんばれ人類。