「社会の近代化」「宗教の世俗化」が進む中で争われる最後の砦

「必ず殺さねばならない」から思えば遠くに来たもんだ。


ゲイ・カップルにケーキを売らなかった店主の言い分 「アメリカの勝利」の陰で今なお続く性的マイノリティへの差別 | JBpress(日本ビジネスプレス)
うーん、まぁ、そうね。やっぱり難しい問題だよねぇと。個人的にはそもそも積極的反対をする理由もないので概ね容認派ではありますが、問題は積極的に反対する理由がある人なんですよね。彼らをいかに説得できるか。その中でも厄介なのは文化伝統のような慣習から反対するのではなく、「明文化された形で」否定されている教典なんかを信じる人たちを一体どう扱うべきなのか、という問題でもあるわけで。

 夫婦という法的に安定した立場を得ることは、社会保障を受けたり家族を営んだりするうえで格段に有利になる。その意味でアメリカに100万組以上いると言われる同性カップルは、人並みに幸せになる権利をようやく手に入れたと言える。オバマ大統領は今回のことを自由と平等をかかげる「アメリカの勝利」だと讃えた。

 だが勝利は圧倒的だったわけではない。連邦最高裁判事による票決は5対4。中道派の判事が最終的に支持に回ったことで、同性婚はかろうじて合憲になった。また最高裁判決の直前に行われた世論調査同性婚を支持したのは国民の57%。アメリカ人の半数近くがいまだに同性婚を認めていないばかりか、そもそもゲイやレズビアンの存在自体を不道徳で忌むべきものとして否定する人も少なくない。

 アメリカの性的マイノリティは今でも強い逆風にさらされている。冒頭で「おおむね平等」と言ったのはそういうわけだ。

ゲイ・カップルにケーキを売らなかった店主の言い分 「アメリカの勝利」の陰で今なお続く性的マイノリティへの差別 | JBpress(日本ビジネスプレス)

ここでは『信教の自由』という点をもってきて小狡く回避していますけども、より更にぶっちゃければ、そもそも彼らの同性愛非寛容という確信を否定するのは彼らの信じる教典の否定にも繋がってしまうわけで。昨今では『イスラム国』の原理主義っぷりが問題視されていますけども、それってキリスト教だって概ね同じなわけですよ。
まさに旧約聖書教典の一つであるレビ記なんかには「あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである」「女と寝るように男と寝る者は、二人とも憎むべき事をしたので、必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう」と身も蓋もなく書いてあるし、新約のローマ書にも「それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである」とあるし。
上記リンク先で言われる、ゲイ・カップルにケーキを売らなかった店主の言い分、ってほぼそのまま彼らが信じる『聖書』の言い分でもある。
その意味で言えば、現実社会に対して既に譲歩し妥協しているんですよね。文字通り同性で寝る人を殺してなんかいないしね。しかしそれでも、100を50に、50を10に、10を1に変えることは妥協できても、しかし1を0に変えるのはやはり相当な覚悟がなければ不可能でしょう。




色々と定義について論争のある『近代化』って、ニクラス・ルーマン先生あたりに言わせれば「(特に宗教から)社会の機能分化」としているわけですよ。それまで政治・経済・芸術・教育・科学と人間社会にあるほとんどすべては宗教は切っても切り離せないものだった。しかし社会の近代化が進むとそれらは宗教から自由になっていく。逆から見れば宗教の世俗化として。今多くの国で問われるようになった同性婚容認の流れも、そうした宗教と社会との機能分化の歴史過程なのでしょう。
政治や経済など徐々に宗教は元々関連の薄かった領域から、ある意味当然の帰結として、順当に切り離されてきた。冠婚葬祭など今でも残っているのは、宗教の本丸でもある個人的な「意味ある生」を考える上で、元来関連性の強い領域であることは確かでしょう。葬式や結婚を宗教色でやろうとする人は少なくないわけで。
その意味で、同性婚カップルの結婚式に関わることを拒否したケーキ屋さんの気持ちは解らなくはないんですよね。だってそれは近代化世俗化の進んだ現代社会において尚も残るもの、『宗教』に残された最後の砦の一つでもあるわけだから。宗教保守な彼らは今更抵抗しているのではなく、最後の守るべき一線として抵抗している。

 ゲイ・カップルのためのウエディングケーキ提供を拒否した件は裁判に持ち込まれ、フィリップス氏は「宗教的価値観を守る自由」を訴えたが一審二審ともに敗訴。一歩も引かないフィリップス氏は州の最高裁に上訴し、現在審理が行われている。

ゲイ・カップルにケーキを売らなかった店主の言い分 「アメリカの勝利」の陰で今なお続く性的マイノリティへの差別 | JBpress(日本ビジネスプレス)

政治経済と宗教は切り離した。教育も切り離した。科学や芸術も切り離した。結婚も宗教から切り離すべきか?




彼らが自発的に解釈を変えてくれればそれがベストではあります。しかしそうしてくれなかった場合に、それでも平等の為にと決心してしまうと、私たちは最後の核心に踏み込まねばならなくなる。自由といえど反社会行為は許されない故に「近代化すべし」「世俗化すべし」と絶対の正義を振りかざさなければならなくなる。
「お前らの信じる教典は間違っているのでそのまま信じるのはやめるべきだ」
キリスト者イスラム者ではない私たちにそれを誤謬として指摘する権利、そしてその覚悟があるのか。いやぁ『信教の自由』ってほんと厄介ですよね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?