日本のデザイン業界にある(らしい)四海兄弟主義はこの荒波を乗り切ることができるか

あるいはデザイナーを見たら泥棒と思え的世界への分水嶺



佐野研二郎氏のエンブレム問題、大会組織委がベルギー人デザイナーを強く非難 | ハフポスト
佐野氏事務所作成のシンボルマーク調査へ 東山動植物園:朝日新聞デジタル
佐野研二郎氏の妻 トートバッグ問題と五輪エンブレムは無関係と強調
そういえばネット住民によって徐々に火を付けられ、面白可笑しく爆破炎上しつつある東京五輪エンブレムデザイナーの佐野さんだそうで。まさにその姿は、立てばオマージュ座ればパクリ歩く姿はインスパイア。某作曲家や科学者等で大勝利という記憶に新しい前例があるのも、彼がこうしてネットのおもちゃ扱いになる原因の一つだろうと思われるのでその辺は不運なお話ではあります。
もちろん僕はデザインなんかにはまったくのドシロウトなので、それが業界慣例でどこまで許されどこから許されないのか、といった事情にはまったく詳しくないのでそれぞれを論評することはできません。しかしそれでも社会科学の方はスコシダケワカルので、以下その辺の適当なお話。

恵子氏は「佐野研二郎は応募した応募者であって、何ら自分で決定権がない。佐野研二郎が取り下げる立場なんですか? トートバッグとエンブレムの件と、どういうつながりがあるんですか?」と報道陣に逆質問。
続けて「トートバッグの件については法的なことを待たずして取り下げた。それが誠意だと思って。それで『あなた、不祥事を起こしていますよね。エンブレムの資格あるんですか』と言われれば、それは結びつけ。トートバッグとエンブレム制作のプロセス上、何か関連があるんですか」とまくし立てた。

佐野研二郎氏の妻 トートバッグ問題と五輪エンブレムは無関係と強調

実際はともかくとして、しかし致命的に低下してしまった彼への信頼がもたらす影響を考えれば、こうなっても不思議はないよなぁとは思います。不幸にも既に「佐野作品を見たら泥棒と思え」的な世界が出来つつあるわけで。実際こうして根掘り葉掘りな検証であることないこと言われるようになってしまっている。
人間社会において、最低限の信頼関係が失われると相手を持ちつ持たれつな共生関係者とは見なさくなり、そこに一切の遠慮がなくなってしまう。社会科学を多少なりともやった人なら見覚えのある光景ですよね。ザ・信頼の浸食。
いやぁ信頼が失われるってコワイよね。



でもまぁこうした変化は、何も今回の佐野さんだけに起きている事象では決してないので、やはりお馴染みの風景だと言うことはできるんですよ。ホリエモン騒動なんかでは当時のベンチャー企業家のイメージは地に墜ちたし、リーマンショックなんかでも一般の人たちにとって「投資銀行家たち」を見る目はまるで強欲な餓鬼を見る扱いとなった。
その意味で言えば、佐野さんの騒動で戦々恐々としているのは彼以外の他のデザイナーたちなのだろうなぁと。まさに彼と同じような目で自分を、自分の作品を見られてはたまらないから。
「黒猫」デザイナーが佐野氏に苦言「ご自身に甘い」 : 社会 : スポーツ報知
今はまだ彼を擁護する声が少なくないように見えますけども、しかしこれが一線を超え、(自分と一緒にしないでほしいと)彼をデザイナー業界から切断処理する空気が生まれると流れが変わりそうだなぁと。
むしろ今後の展開を占う上で重要なのは、私たちのような一般の声ではなくて、同じ業界の人たちの援護がどれだけ続くか、という点に掛かってるんじゃないかと思います。まぁそうした人たちも最終的には「世論」「空気」というものに左右されてしまうわけですけど。


今回の騒動に付随して明らかになった、かなり狭い業界とされる日本デザイン業界において、佐野さんの人望はどれだけあるか。果たして同業者たちは彼をどこまで真摯に守ってくれるのか。
ちなみに上記事例で言えば、ホリエモンは見事に切断処理され彼だけが生贄にされてしまったわけですけども、一方でリーマンショック以後の投資銀行家たちは一致団結して業界論理を守ることに成功し、その後においても素晴らしき投資狂奔時代を概ねそのまま謳歌しているのでした。


果たして日本のデザイン業界はどうなるか、乞うご期待であります。
がんばれ佐野さん周辺の人たち。