『ディープ・スロート 大統領を葬った男』(ボブ・ウッドワード著)読んだ

なんか最近日曜サボるのが定番になってきているので適当な穴埋め日記。



ということで最近読んで結構面白かったボブ・ウッドワード大先生の『ディープ・スロート 大統領を葬った男』であります。大体の著作は追っているのですが、過去ネタということでこれまで放置しておりました。
以下、古い本だしネタバレも多分あるので気にする人は注意。







実際中身としては、帯なんかで煽られているような「何故FBI長官はスパイになったのか?」という最大の疑問については、まぁ彼が認知症を患ったことでほとんど明らかにされないままであります。でもまぁ「だからこそ」彼の晩年のディープスロートであったとの告白についての正当性を容認するかどうか情報提供者保護(死ぬまで明らかにしないとの約束)とのジレンマは興味深く、ある意味で現代社会において普遍的に重要なテーマになっているのは面白いです。
益々高齢化する社会にあって、それこそ私たちはボケながらも生きていく可能性はこれまでよりずっと大きいわけで。その権利(そして晩年の姿を公にすること)をどこまで認めるか、については特にきちんと明文化された契約ではなく信義によるものならば尚更どう扱えばいいのか難しいよねぇと。『権力の失墜』で晩年のほとんどボケていたレーガン大統領の時もそうだったように、彼はそうした姿を公に晒すことにかなり躊躇いを覚えているわけで。


ともあれ、ボブ・ウッドワードの代名詞であるウォーターゲート=その核心であるディープスロートをここまで徹底的に隠匿したことが、その後の彼の「名声」というだけでなく「信頼できる情報提供先」としての地位を確固にしたのは数奇な運命であり、その性質によって支えられた著書の面白さを考えると、同時にまた今後こうした人が出てくるのかなぁと少し悲観的になるお話ではあります。
その後の彼の著作も政権内部のゴタゴタがすごくあけっぴろげでだからこそ読者としては面白いんですけども、やっぱりそれは情報漏洩と紙一重であるわけですよ。CIAの情報漏洩を憂う内部の人の著作(確かロバート・ベアの『裏切りの同盟』あたり)なんかでは、まさにボブ・ウッドワードの名前がテロリストを利するような内部情報を公開し過ぎていると名指して批判されていたりするんですよね。
彼の素晴らしい著作が逆証明するのは、必ずどこかに存在する「喋りたい人たち」の安心できる漏洩先でもあったと。


最近の『イスラム国』絡みでのアメリカ政権内部のゴタゴタもすごく興味あるので、ウッドワード先生はあともう一冊オバマ政権ネタ書いてくれないかなぁと期待しております。