溺れる者は排外主義すらつかむ

極右化・排外主義の蔓延というよりは「反リベラル」という反動。


ヘイトスピーチを見逃すから極右が伸長する | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
まぁこのタイトルのように、移民らを追い出しても君らの問題は何も解決しない、という指摘はほぼ完全に正しい。しかしだからと言って、今の苦境で何もしないまま静かに死んゆけ、というのはまったく同意できないお話なわけで。結局、そんな現在の苦境を救えていない、という一点でこうしたカウンターな動きが起きてるのだと思うんですよね。
(少なくとも「今」貧しい人たちにとって)リベラルが失敗しているのだから、それ以外の手法に切り替えるべきだ、なんて。
『革新』への反逆。

 こうした問題は、2000年代初頭までは取るに足りないものとみられていた。主だった政党はわざわざ極右勢力を批判したり抑え込む必要性を感じなかった。保守派の政治家は極右との間に距離を置くことはあっても、ユーラビア論を論理立てて否定することなどなかった。

 極右勢力による外国人嫌悪には、道義的にも論理的にも欠陥があるのは明らか。にもかかわらずこれまで彼らを放置してきたが故に、害悪が拡大してしまった。

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実際これ自体はとても真っ当で、概ね同意するところではあります。
もちろんこの対応策としてヘイトスピーチ取り締まりを強化、というのはまぁ急場しのぎの対症療法としては理解できても、しかしそれが再び以前のような(ほとんどまったくの極少数派扱いにできる)『寛解』に繋がるかというと、やっぱりそうではないよねぇと。
それって症状の緩和にはなっても、根治にはまったく寄与しない。
まず大前提にあるのが、外国人嫌悪のような動きが放置してきた故に「絶対的に」拡大したというよりは、むしろそもそもリベラルな人たちの主張に説得力がなくなってきた(と考えられるようになった)故に相対的に大きくなったという点にもあるわけで。リベラルで進歩的社会なんかでは自分たちの生活が良くならなかった人たち。もちろん全員が全員救えるなんてことあるはずもないけれど、しかしそのただ明るい未来に就職希望だった人たちが増えれば増えるほど、絶望の度合いも深くなる。
その「次」に来るのが何かというと、まぁ見事に現在の欧州なんかが証明していますよね。



皮肉なことに――本音か建前かはともかくとして――リベラルな人たちが移民受け入れや多文化社会を素晴らしいと称えれば称えるほど、しかし「今」苦境に陥っている人たちの不満や鬱屈は高まることになる。
アイツらの言う素晴らしい政策とやらでは自分たちの生活は何にも解決していない。
かくして「革新」に見切りをつけた人たちは、そのカウンターへと走ることになる。おそらく、その主張に1から10まで同意している人たちというコアな支持層自体は、以前と同様に少数派じゃないかと思うんですよね。ところがむしろ合理的なバランス感覚の持ち主であればあるほど、その極端な主張をする人たちを支持することによる全体への圧力という態度変更を暗黙に迫っているのだろうなぁと。



ということでヘイトスピーチが盛り上がる背景について、「排外主義の蔓延」というだけでなく「リベラルへの絶望」という点を指摘しないのは、正直片手落ちでしかないと思います。貧すれば鈍すると言ってしまっては身も蓋もありませんが、しかし溺れる者たちにとっては極右だろうがなんだろうが現在の苦境を救ってくれる(かもしれない)藁をつかもうとするのも不思議じゃない。
その意味でリベラルな人たち=エスタブリッシュメントが無視し続けてきたのは「扇動的な極右」というよりは、「リベラルからこぼれ落ちた弱者たち」の方なのだろうなぁと。ところが、まさにその解答が見当たらないからこそ、彼らはその存在を無視してきたとも言えるわけで。そんなもんがあるなら初めからやっていますよね。


かくして彼らは現在の正当性であるグローバル化や移民受け入れを叫び続け、その成長にあずかれない人たちは藁=極右をつかもうとする。いやぁどうしようもない世界だよね。日本は「まだ」そこまでは至っていないものの、しかしまったくの他人事だとも絶対に言えない。


みなさんはいかがお考えでしょうか?