世界を変える必要もないけど、「こうあるべき」レシピなんて捨ててしまおう

味より手軽さ。


“フランス人許さん…” イタリアを揺るがしたカルボナーラ・ショック 衝撃の調理法とは? | NewSphere
本邦でも色々と自虐したりされたりしますけども、伝統文化として料理ってまぁ色々な所でセンシティブになってしまうのはどこの国でもあるあるなお話ではありますよね。私たち人間は基本的には、既にあるもの、に価値を見出す生き物なわけで。例えば伝統文化なんて客観的視点から深く考えた上ではなく、ただそこにあり続けたからというという理由で。


以下、そういう「保守」「自国文化」「現状維持バイアス」な料理云々とは別のお話。

 さらに1つの鍋で完結する調理法に対しても、同氏は寛容だ。もともと、この方法を紹介したのはアメリカの料理研究家マーサ・スチュワートで、これまで必要だとされた面倒なテクニック抜きで、手軽に短時間でおいしいパスタを作れることから人気の調理法だという。

 ゴプニック氏は、我々はシンプルな料理には複雑な技が必要だと信じることを好み、良い料理人も料理本もみなそうだと教えていると述べる。しかし、簡単に同じ味が出せるなら、そんな考えはいらないのではないのかと述べ、今回の騒ぎはカルボナーラ危機ではなく、「こうあるべき」偏重主義の危機だと主張している。

“フランス人許さん…” イタリアを揺るがしたカルボナーラ・ショック 衝撃の調理法とは? | NewSphere

より正確に言えば「技よりも手軽さ」というのが現代における真理かなぁと。個人的にも家庭料理にそこまで意味・意義を込めるもんでもなく、別にこれはこれでいいとは思うんですよね。


料理なんて何ででもそうですけど、本気で手を掛けようと思ったら手間や材料費はべらぼうに高くなってしまうわけですよ。肉の部位からとか、あるいはチーズの種類とか、日本じゃ馴染みのない野菜とか、根本的に火力の違う設備とか。
現代社会においては益々『時間』の重要性は増しているし、ついでに言えばちょっと一風変わった(ちょっとリッチな)輸入素材がある成城白井ですらスーパーと言えど決して庶民の味方と言えるほどお安くない。
となると私たち平民が日常生活を送るうえで重要なのは、如何にして技と素材を簡略化できるか、でしょう。どうやって費用と効率を最大化するかが家庭料理の真髄じゃないのかと。手に入れやすく安い材料で誤魔化し、時間の掛かる下準備を減らす。


そもそも「きちんとした」料理を食べたければ、そういうお店に行けばいいんですよ。もちろん当たりハズレはあれど、まず間違いなくそうした方がより手間と素材にコストを掛け、つまるところ美味しいんだから。
ということで今回のカルボナーラ案というのは、それが美味しいから云々ではなく、むしろコストパフォーマンスに優れているからこそ多くの人にウケて、受け入れられている。カルボナーラだってちゃんとやろうとしたらクッソめんどくさいよねぇ。生クリームの時点でめんどくさいわって思ったら上記本場ではそれすら無かった。


現代社会では、時間もお金も限りなく大事だからこそ、「こうあるべき」レシピなんて捨ててしまおう。
――実際にはまぁこんなのはどこの家庭でもみんなやってますよね。それこそ我らが日本においても、上記「まともな」カルボナーラの作り方してるところなんて皆無じゃないかと。