「外からの多様性」を認識しながら、しかし「内なる多様性」を認識しようとしない人たち

リアルに「サイレントマジョリティを考慮」したらこうなったよ。


メリル・ストリープ、ゴールデングローブ賞のスピーチでトランプ次期大統領を批判(全文) | ハフポスト
話題になってたアレ。別にスピーチを否定したいわけでもないものの、まさにこうした態度こそが『分断』構図の象徴的事例に見える面白いお話かなぁと。

ハリウッドには部外者と外国人が大勢います。その人たちを全員追い出したら、フットボールとマーシャルアーツ(総合格闘技)以外に見るものがなくなります。しかしそれはアーツ(芸術)ではありません。

メリル・ストリープ、ゴールデングローブ賞のスピーチでトランプ次期大統領を批判(全文) | ハフポスト

傲慢というか、無邪気な発言ではありますよね。そこに「そうは考えていない」人たちが居るなんてまったく想像していない。自ら語る正義を確信しその正義以外には正義などないと信じている。でもまぁ世界には、自らが信じる神以外に神など居ないと信じている人たちが、まったく同様にいっぱい居るからそんなものかもしれないね。


でもこれってある意味で、自分が同じ集団に属しているから、という身内での発言であるというエクスキューズがあるからこそ出来る発言じゃないかと思います。もし、こんなこと他所の文化集団に向かって言ったら炎上確定ですよ。
「しかしそれはアーツ(芸術)ではありません」なんて。
もちろんそうした配慮や認識というのはダブルスタンダードというよりは、自分たちの文化社会の外には全く異質のそれが存在しているという、多様性の自覚という点で適切な態度ではあるのでしょう。
しかしこうした無邪気な人たちは、自分の社会については「みんな誰もがわたしと同じことを考えているはずだ」と簡単に突っ走ってしまうことがしばしばあるんですよね。まさに自分の考えこそ自らの社会や文化を代表しているのだと。勝手に代表面する人たち。
――それが良いか悪いかはともかくとしても、ほんとは同じように考えていない人たちだって居るはずなのにね。サイレントな声として。
ちなみに、過激なイスラム原理主義な人たちに反発する「ふつうの」イスラムの人たちの反発って、こういう所にあったりするんですよね。イスラム過激派は、なぜか他の大多数のムスリムを差し置いて、自らこそがイスラム社会の声だとばかりに代表面をしているから。
勝手で傲慢な代弁者たち、というのはまぁ古今東西どこでも嫌われる特性ではありますよね。


異邦人たちとの多様性を認めながらも、同胞内部における多様性は認めようとはしなかった人たち。
「部外者と外国人」が居ることの多様性は認められても、自分と「違う考え方」を持つ人たちが内部に居るという多様性を認めることはできなかった。せめて認めることはできなくても、ちょっとだけ謙虚になれればよかったかもしれない。しかし彼らはその異端者たる人びとの存在価値はないものとして扱ってしまった。
一体どうしてそういう地平に辿り着いているのかちょっとだけ興味はあります。自身の『神』の無謬性を確信しているのか、自分と違う意見の人間には発言権はないと考えているのか、それとも本当に極々少数しか居ない=故に無視できる数だと考えているのか。
でもまぁ世界には、自らが信じる神以外に神など居ないと信じている人たちが、まったく同様にいっぱい居るからそんなものかもしれないね(二回目)。


そんな『善き』彼らが思ったよりも、同じように考えない『悪しき』人たちだけでなく、『お前の態度が気にくわない』な勝手な代表面に気に喰わないという人たちは、選挙で勝てる位にはいっぱい居たことが明らかになってしまった。サイレントな人たちは、決して無視できるほどのマイノリティなんかじゃなかった。
かくしてトランプは舞い降りた。