自由主義と社会主義の悪魔合体の果てに残ったもの

いまこそ日本に社会民主主義を、


この国のかたち 3人の論者に聞く:考える広場:中日新聞(CHUNICHI Web)
うーん、まぁ、そうね。基本的には同意する所ではありますけども、でもなんというか無能な味方に応援されてる感じは否めない。

 だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。ただ、上り坂より下り坂は難しい。どう犠牲者を出さずに軟着陸するか。日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。

この国のかたち 3人の論者に聞く:考える広場:中日新聞(CHUNICHI Web)

良くも悪くも「生まれながらに金持ち」な彼女のこの発言って、成功した社会主義と揶揄され続けてきた日本が、目指しつつも欧米型自由主義社会を結局構築できなかった理由がよく解るお話かなぁと。こちらも既にネット上で言われていますけども「今更、しかしもお前が、それを言うんかい」的な。


もちろん再配分をする量そのもの(税金の多寡)という面もあるんですが、社会主義者自由主義者な人たちの考え方違いの代表的な一つとして、「貧しい人たちの面倒を誰が見るのか」という構図があるんですよね。
前者にとってそれは『政府』の義務であり、後者にとっては『金持ちたち』の義務だと考える。
しばしば、特にアメリカなんかと比較して日本では寄付文化が根付かないというモノがあったりしますけども、まぁそれも当然のお話ではあるんですよ。だって少なくない私たちがその仕事は政府・自治体がやるべきだと素朴に考えているから。一方で、何故あちらの彼らが寄付にあれほど熱心なのかというと、ただ美徳だからというだけでなく、先ず金持ちの『義務』であって故に寄付することが『(善き)金持ち』であることの逆証明にもなっている。金持ち=寄付する人という構図はほとんどイコールであり、ワンセットなんですよ。
どちらが優れているかという根本的問題はさて置くとして、両者の考え方の違いが産む弱者救済手法について。


幸か不幸か、日本にそうした寄付文化は根付かなかった。いつまでもたっても私たちが「政府の仕事だ」と考えていたせいなのか、それとも日本の金持ちたちがひたすら利己的なまま変わらなかったからなのか。
どちらにしても結果として起きたのは、社会民主主義の利点であった再配分機能は弱体化し、一方で金持ちの寄付という義務は根付かなかった、というオチなのがホント笑うしかないですよね。両者のダメな部分とダメな部分だけが悪魔合体した。最悪や!
「やっぱり、国民負担率を増やし再分配機能を強化した社会民主主義にしよう!」
ということで最初に書いたように元々個人的にも賛成するポジションではあるんですが、少なくとも原因の半分であることを恥じていなかったどころか堂々と表明していたしていた――金持ちが弱者を救う必要はなく彼ら*1はそのまま死ぬべきである――的立場にいた彼女が「今更」こんなことを言うのは鼻で笑っちゃうお話ではあります。
そんな立場から「平等に貧しくなろう」なんてわざと煽ってるのかな?
豹変なのか確信なのか、それとも扇動なのか、むしろこれでまた社会民主政党は遠のくんじゃないかな。まぁ元々見込み薄いというと頷くしかないんですけど。


いまこそ日本に社会民主主義を、


だめそう。

*1:特にキモくてカネのないオッサンたち。