ポスト・トゥルースに魅入られる私たち

現代民主主義政治の一つの極致、ではあるかもしれない。


籠池泰典氏、「森友」問題で証人喚問:時事ドットコム
話題沸騰だった森友事件も最大の見せ場を迎えたそうで。テレビに疎い僕は、話題に乗り遅れながらも気付いた時には完全にテレビの「おもちゃ」になっていたなぁと。登場人物が色々と良いキャラしてたのがツボにはまりまくっていたよね。その意味でトランプ騒動と似た構図にあるのかなぁと少し思ったり。



ともあれ、別に今回の件に限りませんけども、面白いのは今回のイベントをどちらのサイドも「勝利」としている所ですよね。普通に考えればどちらかがポスト・トゥルースでもありますが、まぁ今世紀民主主義政治のトレンドだから日本もその流れに乗っているだけと言うことはできるかもしれない。
もちろんその姿勢は単純にポジショントークでもありますが、同時に合理的な振る舞いでもあるわけですよ。何故ならマスコミを通じてそうアピールし、自分たちが正義=勝者としてのポジションを設定しようとすることは、実際にそれを見た有権者たちに多かれ少なかれ影響を与えることになるから。
私たちは別に投票の際に熟慮の末に決めているのではなくて、むしろ無意識のうちに積み上げられた党なり政治家個人なりの『印象』によってそれを決めている。民主主義が賢らに『衆愚』と言われる所以でもあります。


今回の、議会まで巻き込んだひたすら愉快な森友劇場はその意味で一部の人たちにとってとても利に適った展開でもあります。質問に立った人たちの振る舞いを見れば解るように(野党側だけでなくもちろん与党側も、ついでにマスコミにとっても)今回の件を『見世物』として利用することで有権者たちにより都合の良い印象を与えることに熱心になっている。
真相究明とか掲げていますけど、正直そこには大多数のプレイヤーたちは興味ないよね。


所謂「ポスト・トゥルース」が単純な笑い話で済まないのは、まさに私たちの社会が正しく民主主義政治である故に、それが有権者の投票行動に影響を与える点にあります。もちろんただのウソでは逆効果にしかなりませんが、しかしそれを見る視聴者たちの目が初めから曇っていたり、あるいは説得力を持つような文脈・社会背景があったりすると途端にその『印象』は現実への影響力を持つようになる。


ということでアメリカのトランプ旋風と同じく、今回の森友劇場も現代民主主義政治の一つの典型例ではあるかなぁと個人的には思ったりします。これは現代世界における民主主義の後進性ではなく、むしろ先端事例の一つでもあるのだと。
みなさんはいかがお考えでしょうか?