見た目で判断する「愚民」たる私たち有権者の原罪

まさに民主主義政治の限界っていう感じ。


「人柄が悪く見えるように、故意にある瞬間を切り取った写真」は法的問題が発生するか?~小西ひろゆき議員が産経新聞に警告 - Togetter
うーん、まあ、そうね。正当かどうかはともかくとしても、彼が気にすることは理解できますよね。人は見た目が9割とも言われたりするし。その意味でこの人のちょっとおバカなお話って実はとっても根深い問題を提起しているんじゃないかと。

産経新聞の写真は、以前から結構話題になっていましたが、それに対して現職の国会議員が、『党の顧問弁護士と相談し、法的措置を取る用意があることを警告』したので、また別次元の問題になりました。
果たして、ここに法的な問題が生じるのでしょうか?司法判断が下されたら、非常に重要な判決になると思います。
また一方で、政治家との報道機関間の問題、「圧力」か「抗議か」、「映像と、その選択に関する印象操作」などの問題にも広がるでしょう。

「人柄が悪く見えるように、故意にある瞬間を切り取った写真」は法的問題が発生するか?~小西ひろゆき議員が産経新聞に警告 - Togetter

実際この問題って政治家では致命的でもあるわけでしょう。
特に視覚情報に支配される私たちは最初に接触する「見た目」によって、実際には確かめてもいないその人の人格まで含めてすべてを勝手に判断し評価してしまう傾向がある。『ハロー(後光)効果』として有名なお話ではありますが、多くの場合で第一印象となる見た目によって、最初のイメージ(身綺麗で清潔であれば信頼できそう、イケメンであれば有能そう、不潔であればズボラ、ブサ面であれば無能か性格悪そうetcetc)を勝手に形成し、それは後々の評価判断にまで長く影響が残り続けることになる。一般人である私たちも、まぁそういう無慈悲な視線に晒される機会こそ少なくないものの、それが自分の仕事の成果に直結するという人は営業など一部を除けばそう多くない。
ところが選挙が自身の仕事の命運そのものを左右する現代の政治家たちにとってはそうじゃありませんよね。
であるからこそ、トランプさんの騒動なんかすごい解りやすいように、マスコミの中の人たちは政治家に特定の『イメージ』を暗示させるかのような写真を恣意的に用いるわけで。もちろん本音は口にしませんけど。


私たちが見た目によって判断してしまうことが色々と致命傷になりかねない現代民主主義の政治家たち。
見た目で人を判断し、ネガティブだろうとポジティブだろうとそのイメージが後々にまで影響を及ぼす。本気でやる人たちは、スーツやネクタイの色まできちんと計算した上でイメージ戦略を練っているわけで。彼らにとって有権者が政治家の「見た目」によって政治家としての能力を勝手に評価してしまうことは、良くも悪くも民主主義政治において選挙戦略を考える上で絶対に避けては通れない道でもあります。
ちなみに私たちが政治家としての「能力が高い」と評価する見た目とは、支配力がありそう・信頼できそう、というイメージを持たせることが重要だそうで*1。かくして実際にはそんな論拠どこにもないのに、私たちはがっしりとした顎と自信あふれる微笑な政治家の映像を見ると「有能そう」と評価してしまう。特に活字ではなくテレビなどの映像によってニュースを受け取る人たちはその傾向が強い。


ただ、この人が正しくそんな「見た目」によるイメージ低落を心配しているという事は、私たち有権者がその政治家の政策や議員活動云々ではなく、「彼らはただ見た目のイメージによって政治家の資質を判断しているのだ」というメッセージに他ならないわけですけど。
最早われわれを愚民扱いしていると言っても過言ではないよね。
――でも、悲しいかな、だいたいあってる。


マスコミが写真を選ぶことで政治家たちへ付与される『見た目』と、それを受け取る私たち有権者の政治家像について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:『ファスト&スロー』P165