「大量破壊兵器を使おうとする国家へ先制攻撃することは許されるか問題」ふたたび

「(戦略)文化がちっがーう!」案件。


トランプ氏、初の国連演説 「ヘイトスピーチ」と批判も - BBCニュース
トランプさんが国連演説で面白いお話をしたそうで。
トランプ氏、国連演説で北朝鮮糾弾 「ロケットマンが自殺行為」 拉致にも言及「日本人の13歳少女を拉致した」(1/2ページ) - 産経ニュース
本邦的には、オバマさんの『核なき世界』と同じくらいインパクトのあるお話となった感じはあるかなぁと。核廃絶とは別の意味で日本国内(の一部)でも蔑ろにされ続けてきた北朝鮮による拉致被害が、こうしてアメリカ大統領が公に言及するなんて。某政党の公式見解としてあった「拉致なんて存在しない」から思えば遠くにきたものだ。発言者がトランプさんなのであまり評価されそうにはありませんけども、まぁ何を言ったかより誰が言ったかの方が重要な世の中だから仕方ないよね。

トランプ大統領は国連総会の一般討論で演説し、北朝鮮の最高指導者・金正恩氏を「ロケットマン」と呼び、「ロケットマンは自殺任務に突き進んでいる」と発言。米国が「自分や同盟諸国を防衛するしかない状況になれば、我々は北朝鮮を完全に破壊するしか、選択の余地はない」と述べた。
トランプ氏の国連演説は、自国民の生活改善に努める主権国家で構成される世界について語りつつも、「この惑星にとって災いとなっている」「ならず者国家」を名指しして非難することに大半の時間を費やした。その上で、「正義の側にいる多数」が「悪しき少数」に対決するよう呼びかけた。

トランプ氏、初の国連演説 「ヘイトスピーチ」と批判も - BBCニュース

ともあれ、本筋としてはこちらもトランプさんが言ったことで「ヘイトスピーチだ!」とか愉快なことを言われていますけども、別に彼のオリジナルというわけでもなくアメリカ伝統のドクトリンでもあるので、そこまで驚きかなぁと。
――大量破壊兵器をならず者が持つことは許さず、その為の先制攻撃は許容される。
子ブッシュさん時代に明確なドクトリンとして発表したことで賛否両論、というかまぁ概ね批難轟轟でしたけども、その発想自体はアメリカとしては逸脱していなかったわけで。この戦略・文化的差異ってネオコンで有名なケーガンさんが言っていた「アメリカとヨーロッパの世界観の違い」の一つの典型例なんですよね。アメリカは大量破壊兵器排除と先制攻撃が当然両立すると思っている一方で、ヨーロッパはしかし大量破壊兵器がそのまま先制攻撃に結びつくわけではない。両者の見解の相違は、もちろん確固たる敵が居た冷戦時代には表面化しなかったものの、冷戦後の世界においては、しばしばその意見の分裂が表に出てくることになった。


大量破壊兵器が悪ならば、その悪を断つ為の先制攻撃は正当化できるのか?


もちろん地政的距離や軍事的脅威度の高低など単純化してあるし、ある種の極論ではありますが、究極には両者はコンフリクトする。これは難しい問題であり、おそらく完璧な解答などないものの、しかし私たち人類が平和な国際社会を維持安定していくうえで決して避けては通れない議論でもあります。
面白いのは、この問いが問われたはずの2003年のイラク戦争ではまさにその通りにアメリカが大量破壊兵器排除を掲げて侵攻したわけですけども、結局無かった(それ以前に破棄されていた)ことでこの問いが半ば有耶無耶のままに終わったという点でしょう。私たちは当然アメリカの失態としてイラク戦争を批判するものの、しかし、もし、本当に在ったのなら今のポジションを正反対にイラク侵攻を賛美していたのか?


この辺は北朝鮮の騒動によって決して他人事ではない私たち日本も、いや日本だからこそ、きちんとポジションを考えておかなければいけないお話ではあるんですよね。これまでは日本も、冷戦下において平和の為ならばとアメリカの核の傘を黙認してきた一方で、もちろん被爆国という立場から核兵器をはじめとする『大量破壊兵器』を強く否定し、当然平和国家として先制攻撃を許容することもなかった。
――では今後は? 


おそらく、グローバル化と科学技術の発展によって、今後の大量破壊兵器開発は益々「高威力」で「使い勝手も良く」かつ「容易」なモノとなっていく。益々世界に溢れていくだろう大量破壊兵器に、先制攻撃を許容する為のハードルをどう設定すればいいのだろうか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?