電気が支えるもの

イースターリン・パラドックスパラドックス


電気がなかった時代も人はそれなりに生きていたから電気が止まっても問題ないのです - Togetter
そういえば先日のホムルズホルムズ海峡でのタンカー攻撃騒動で、また「たかが電気」論が盛り上がっているそうで。

へー、電気ないと生きれないんだ。
ゲームできなくなるから?
人間が生きられなくなるのは、空気と水が無くなったとき。
あんな知らない評論家が正しいと思っているの?
それは平和ボケ並に、幸せボケですね。
江戸時代以前は、なぜみんな普通に生きてたの?

電気がなかった時代も人はそれなりに生きていたから電気が止まっても問題ないのです - Togetter

うーん、まぁ、そうねえ、ゲームできなくなるのはマジこまる。


さて置き、こうした人たちが、かの有名な「たかが電気」派の本家本元音楽家の方もいらっしゃるように特段ユニークな頭珍百景な人かというとそうではないよね。いや、むしろその普遍性――それこそ日本限った話ですらない――こそがよりその悲劇性を強調してもいるんですけど。
いくら文明的生活を送っても我々の幸福には繋がっていないのだ、という人たち。
所得と幸福には飽和点が存在するからしかたないよね。ザ・幸福のパラドックス。まぁ現在では幸福度の定義や調査方法諸々から概ねそんなのウソだったオチなんですけど*1
なんもかんもイースターリンとかいうものすごく一部の人たちに刺さることを言い出したやつがわるいんや。




ともあれ、この愉快な人たちにマジレス気味に反論するならば、確かに電気が支えているのって直接な命そのものではないんですよね。いやもちろん高度医療などの例外はありますけど。
そもそも電気が主として支えているのは私たちの文明的生活の根幹である「効率性」であり、つまりその時間・資源の数百数千数万倍というレベルで節約できているからこそ(電気登場以前の)過去の人類社会との違いを決定的にしているわけですよ。
電気のおかげで安価になったモノ・サービスたち。


最も典型的なのは移動でしょう。江戸時代に2週間かけて歩いて京都までいっていたそれが、今では飛行機で2時間を切る時代ですよ。あるいはより身近な例で言えば電気がもたらす「灯り」の問題でもありますけども、こちらもロウソクと現在のLEDを較べると価格効率で数万倍というレベルの効率性を実現している。こうした効率性はもちろん生活の根幹でもある衣食住でもかわらない。
そしてその効率によって生まれた余裕を使ってこそ、私たちは勉強や娯楽や芸術を生み出してきたわけで。
こうした現代的生活を支える効率性の根幹は、たかが電気、がほとんど全てを支えているんですよね。


それが現実に達成できていないのが、私たちがニュースなどで今でも目にして知っているはずの、アフリカなどの発展途上国なんかで見られるような水汲みだけで一日の大半が終わる生活などでもあるわけでしょう。
ああした光景を知っていて尚、「なくても普通に生きている」「たかが電気」というのは人類の進歩に対する冒涜なんじゃないかな。


もちろんこのお話って結局のところ『効率性』であり、そこに追加で掛かるコストを考えなければかなり近い所まで実現できることも確かに事実なんですよ。まさにアフリカの事例のもう一つの側面が示しているように。
つまり、金持ちであれば。
ところが電気というのは、それらを一部の特権階級たちの特権というだけでなく、所得がそこまで高くない私たち庶民にも手が届く安価で効率的な文明的生活というモノにしている。
上記イースターリン・パラドックスにおいてすら、結局はその「所得と幸福の相関性頭打ち」の大前提となっているのが安価な電気でもあるわけで。そしてその電気がもたらす効率性がこそが私たちの幸福な生活を支えてもいる。
水汲みで一日が終わらない生活を。
灯りをほぼ無尽蔵に使える生活を。
まき割で森林を保全できる生活を。
安価で遠く離れた人たちとコミュニケーションとれる生活を。


たかが電気のためになんで命を危険に晒すのかという坂本龍一の声に 電気は命を支えるんだ!という声 - Togetter
その意味で言えば、まさに上記本家の音楽家の人のように金持ちの道楽として「たかが電気」というのには一定の説得力があるんですよね。だって彼らにはもしほんとうに電気の希少価値が上がり、全てのモノやサービスの価格が高騰しても払えるだけの所得があるんだから。
まさにかつての王侯貴族たちのように。
貧乏だから「たかが電気」にこだわるのだ、というのには一定の説得力がある。
でもまぁ新自由主義的にそういう風に公共心をはたから投げ捨てたようなことをいう人たちって、電気云々に限らずいっぱいいるから仕方ないよね。
「安価な電気が使えなくなって貧乏人がのたれ死んでも、努力がたりないのだから仕方ない――故に「たかが電気」である」
ホリエモンかな?
こうした「たかが電気」派な人たちとイースターリン的「所得と幸福は頭打ちする」派が親和的なのってとっても面白い構図だと個人的に思ってます。


リベラルな僕には絶対同意できないので、でんこちゃんの言う通り「電気を大切にね!」を応援していこうと思います。
それこそが単純に所得の上昇だけでない、人びとの幸福で文明的な生活のラインを更に上へ押し上げていく要素だと思うから。


がんばれ電気。もっと安くなれ電気。

*1:日本語で解りやすい所だとこの辺(PDF)http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/1532/1/0130_016_008.pdf「国際比較でのイースタリン・パラドックスは出現しない」