人は自由になると幸福になる

「人は鉄アレイで殴り続けると死ぬ」程度には普遍的真理ではあります。


科学が解明。時間をお金で買うと幸福度が上がる | ライフハッカー[日本版]
この胡乱な現代世界を生きる上での、小さな生きるヒントになりそうな面白いお話。

この因果関係を証明するために、さらなる実験が行なわれました。実験の参加者には、ある週に40ドル(約4400円)が与えられ、モノを1つ、または自分が選んだ複数のモノを買うように指示されました。唯一の制限は、そのお金で「モノ」を買わなければならないということでした。

その次の週に参加者はまた40ドルを受け取りましたが、今度は時間のためにそのお金を使うように言われました。

たとえば、誰かを雇ってクリーニングを取りに行かせるとか、メンテナンスや配達など。

他人を雇って自分がやりたくないことをやってもらうと、自分がやりたいことをする時間が増えます。

もう結果はおわかりでしょう。モノではなく時間を購入したほうが参加者はもっと幸せを感じられ、またストレスが少なく、満足度が高くなったのです。

科学が解明。時間をお金で買うと幸福度が上がる | ライフハッカー[日本版]

まぁ『モノ』について考えてみれば割と当たり前なお話ではあるんですよね。
もちろんより高価な商品を買えば満足度は上がるものの、だからと言っていつもより二倍高額や二倍の量の商品を所有することで二倍の満足が得られるかというと、まぁ一般的にはそんなことないわけで。
ザ・限界効用逓減の法則。
あるいは、ゴッセンの第一法則。
もっと言えば、全員が40ドル配られたところで、40ドルという指定された価値に消費したという点で相対的な幸福度としては何も変わらないわけで。
一方でその40ドルを使って生まれた余暇であれば、それぞれの私たちが望むことに時間使うことで、固定化されている金額を越えた満足を得ることができる。
(上記でも指摘されているように、正確には「可能性がある」んですけども。)


この問題って一見単純なように見えて、ロバート・H・フランクが提唱した『地位財*1』と『非地位財*2』な構図も絡んで割と現代社会では真面目に考える価値のある深いテーマだとは思うんですよね。特にコロナ禍にあっては尚更。
ちなみに彼は、そこから所謂「支出の滝*3」と議論を発展させ、『幸せとお金の経済学』の中で次のようにまとめています。

①人には相対的な消費が重要だと感じる領域がある。
②相対的な消費の関心は「地位獲得競争」つまり地位財に的を絞った支出競争に繋がる。
③「地位獲得競争」に陥ると、資金が非地位財に回らなくなって幸福度が下がる。
④中間所得層の家庭では、格差の拡大によって「地位獲得競争」から生じる損失がさらに悪化した。

こうしたロバート・H・フランクの議論を考えると、上記サイトでは「時間をお金で買うと幸福度が上がる」とまとめられていますけども、彼の理論を引用しより正確に言えば「(非地位財である)自由な時間をお金で買うと幸福度が上がる」というお話だよね。
「人間は自由になると幸福になる」なんて。鉄アレイで殴ると死ぬのと同じくらい普遍的真理だというと身も蓋もありませんけど。
非地位財の筆頭の一つでもある自由の価値について。

庭の手入れをする代わりに、家族や友人と一緒に時間を過ごそうと決心する(繰り返しますが、うまくいくためには自分で決めなければなりません)かもしれません。

それとも、なかなか着手できないでいるサイドプロジェクトに取り組みますか。読書をしますか。ワークアウトですか。

つまり、自分が楽しめること、やりたいことをやるのです。

科学が解明。時間をお金で買うと幸福度が上がる | ライフハッカー[日本版]

この個人的生活における自由の価値って、上記でも触れたようにやっぱり現在のコロナ禍な社会情勢にあっては尚更、あるいはポストコロナな社会を考える上で改めて大きなテーマになっていると思うんですよね。


ここでこの問題が一筋縄でいかないのは、私たちは一言で「自由な生活」と言ってもその定義にはまぁ諸々あるわけでしょう。
――特に今のコロナで自由が無くなったと嘆く声が大きい一方で、飲み会や会議など煩わしい人付き合いから解放され自由になったと考える人たちも(僕もそうです)それなりの数として存在しているわけで。
リモートワークを続けるためなら人々は「賃金カットもやむなし」と考えているとの調査結果 - GIGAZINE
もちろんコロナ感染によって自分や周囲の人間が直接健康を害してしまったりあるいは失職してしまうのは論外だとしても、しかしコロナによって個人の自由が奪われたと感じる人たちの一方で、リモートワークなどが強制的に進むことで結果として個人の自由が増し幸福度が増大した面も確かに存在している。


コロナによって否応なしにその「自由」とそれがもたらす幸福について再考させられている現代社会。
良くも悪くも社会が変容していくのは避けられないのでしょうね。
――少なくとも僕個人として改めて考えると、マスクやワクチンなどコロナ対策で制約されるようになった分と同じかそれ以上には、非地位財としての自由による幸福度は増したのかもしれないなあ。

  • コロナを経ることによって、自由が増え私たちの社会はもう少しだけ幸福な社会になるのだろうか。
    • あるいは自由が減ることで、私たちの社会は更に幸福度の低い社会になるのだろうか。


おそらく今後もしばらくはウィズコロナな生活を強いられていくだろう、みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:地位財とは - コトバンク周囲と比較することで満足を得られる財。所得・財産・社会的地位・物的財など。幸福感は長続きしない。

*2:非地位財とは - コトバンク他者との比較とは関係なく幸福が得られる財。健康・自由・愛情・良好な環境など。幸福感が長続きする。

*3:トップ層の可処分所得が増加し支出が増えることで、嫉妬や羨望といった感情ではなくそれに引きずられるように徐々に下層にも支出拡大の圧力が連鎖していく構図。結果として中間層も周囲に合わせて地位財を確保する為に無理をしてでもその支出増加を受けいればならなくなる。