(普遍的人権という)歴史は終わっているか? 中

ということで承前。(普遍的人権という)歴史は終わっているか? 前半 - maukitiの日記



なぜ平和の少女像を「日本国民の心を踏みにじる行為」と感じる人びとがいるのか? | The HEADLINE
前回書いたようにやっぱり本題としては概ね同意するお話ではあります。慰安婦問題で戦うべきラインはそこじゃないよねえ。

現代世界において、人権という概念は国家の利害や個人の感情よりも尊重される普遍的な存在である。

なぜ平和の少女像を「日本国民の心を踏みにじる行為」と感じる人びとがいるのか? | The HEADLINE

しかし、ではこうして歴史として進み続けてきた『普遍的人権』というリベラルな価値観の普及が今後も続くか、というと二重の意味で怪しいと個人的には考えているんですよね。
価値観が更に広がっていくはずの「外からの抵抗」という意味でも。
そしてそれが根付いている「内からの抵抗」という意味でも。

どういった理由があれ、そうした価値に挑戦すると見なされる言動は非難を浴びることになり、不正義であるという誹りを免れない。

なぜ平和の少女像を「日本国民の心を踏みにじる行為」と感じる人びとがいるのか? | The HEADLINE

ええ~??? それってほんとうでござるか~???
マジうちら不正義を誹っちゃってるの???


「100万人を投獄」ウイグル人権問題の深刻度 | 中国・台湾 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
国連で5年ぶりに北朝鮮人権「審査」…問われる韓国および各国政府の立場(徐台教) - 個人 - Yahoo!ニュース
私たち東アジアの日本にとっては、人権軽視なニュースといえば隣近所にある北朝鮮や中国が真っ先に思い浮かびますけども、彼らの言動――どころか行動を「不正義な国家」として私たち日本人は非難するように扱っているの?
非難していないのであれば、今後はそのような不正義はやめるべきだと非難すべきなの?
――であれは、現在の中国政府は、一体国際社会からどれほどの非難を浴び、不正義であると誹り受け、そして何か実際上のデメリットが生まれているの?


そして非難ってどれくらい? 
人権問題のために戦争を覚悟するくらい?
戦争をしない為には人権問題には目をつぶるべき?



まぁもちろん中国の報道官などが言うように「あれは収容所ではなく教育施設である。フェイクニュースだ」という言葉さえ無邪気に信じることさえできれば、私たちの不作為を無いことにして普遍的な人権の存在を無邪気に信じることができるかもしれない。
そうした中国の声明が正しいのであれば、日常的に過去の人権侵害・あるいは現在進行形の人権侵害(の一部)をすばらしくも率直な態度で認める人たちの方が、欧米国家の方が中国よりも人権軽視が多いよりギルティな国家である、ということになるけどそれでもいいの? 
――特にこの点は、上記記事の本題でもあり、確かに本邦でも見られる「『負の歴史』を頑なに認めない」ことに対する一定の説得力を持つことになるんですよね。だって口先で否定するだけで「問題ない。通ってよし!」とするならば、そもそも初めから認めない方が問題は少ないことになる。


そりゃ私たちが中国や北朝鮮に口を出す権利などなくなってしまうよね。だって私たちそれらよりも罪深い人権軽視国家なんだもん。
まさに「正直者が馬鹿を見る」というのが真理とされる普遍的人権()な世界観として。


少なくとも国際ニュースを見る限り現在でも尚世界に存在しているようにしか見えない、政治的弾圧や紛争が続く国家や地域には、ほんとうに国家の利害よりも尊重された『人権』というモノが存在しているの?(修辞疑問)
――もしそこに無いのであれば、その上で私たちがその現実を事実上黙認し容認しているのであれば、人権に普遍性などないことを私たち自身が認めていることになる。
リアリストたちが言うように、国境こそ人権の分かれ目である、という意見こそ正しいのだろうか。

韓国「人権は優先順位ではない」

国連で5年ぶりに北朝鮮人権「審査」…問われる韓国および各国政府の立場(徐台教) - 個人 - Yahoo!ニュース

ま、ましゃか核兵器問題の為に、
経済的権益のために、
あるいは同盟国だからという理由で、
つまり自身の「国家の利害」の為に人権問題を批判しないなんてありえないもんね。


この点で言えば過激な反アベ政権運動をする人たちが言う「アベ政権はネトウヨ政権!」という批判は正しいんですよ。
だって人権問題をほんとうに尊重しているならば、中国のことに言及するときは必ず末尾に「ともあれ、中国という不正義国家は滅ぶべきであると考える次第である」と付けてもおかしくない。
そうした非難をアベ政権がやっていないということはやっぱり政治的弾圧に親和的な独裁者だと言わざるを得ない。アベはやっぱりヒトラーだった!
現代国際関係で中国に一番敵対的なのは……、うーん、トランプ政権かな。つまりトランプこそ一番中国の人権問題に熱心である!!!!!……????



結局のところ、その信奉者である日本やヨーロッパの私たちがそれをしないということは、私たちが目にしている『人権』を巡っての致命的な争いが起きていない現実が意味しているのは、次の二択のどちらかである。

  • 人権侵害をしているような不正義な国家は世界には存在していないか、あったとしても徹底的にその不正義が非難されている、人権こそ普遍的価値観であると「歴史が終わった」世界。
  • 実際の行動としてリベラルな私たちは実は人権問題をそれほど重要だと考えていない、まさに中国政府などと言っているそのままの「歴史は終わっていない」世界。

当日記びいきのフクヤマチーム二連敗しそうで悲しい。




ということで、このお話って何も「あいつらのやっていることの方がヒドいから、うちらはセーフ!」とか、そういうお話ですらないんですよ。
人権に「普遍的」という射程を付与してしまったら、私たちは全世界の他国への人権問題について強く口を出さないわけにはいかなくなる*1。もしそうしていない、私たちの不作為が意味するのは普遍性の否定でもある。
――普遍性に欠けるということは、そもそも国内的に自分たちの持つ人権の正統性も……。
まぁやっぱり「国家政府=国境こそ人権付与の射程を定義する」という逃げ道もありますけど。しかしそこを認めてしまっては「普遍性」などは今後二度と口にできなくなってしまう。ていうかソレ中国政府のポジションそのものだよね。
内政干渉か普遍的人権か。やっぱり国連改革にもあった最重要テーマですよね。まぁそれはご覧のように見事に失敗したんですけど。

現代世界において、人権という概念は国家の利害や個人の感情よりも尊重される普遍的な存在である。どういった理由があれ、そうした価値に挑戦すると見なされる言動は非難を浴びることになり、不正義であるという誹りを免れない。平和の少女像によって日本人が傷ついたと考える人びとは、その理解が決定的に欠けている。

なぜ平和の少女像を「日本国民の心を踏みにじる行為」と感じる人びとがいるのか? | The HEADLINE

確かに僕も「その理解が決定的に欠けている」という意見に同意します。
そして、自称リベラルな僕も理想論としては「そうあるべき」という意見に同意します。


その上で『人権』という価値観の実際上の運用として問題なのは、ならばそのように「普遍的存在である人権」というモノは、ほんとうに現代世界にあまねく存在しているのか、そうでなかった時にそれに対して不正義だという声をどれだけ上げているか、という点でしょう。
中国にも北朝鮮にもロシアにもシリアにもイラクにもアフガニスタンにもイエメンにもスーダンにもベネズエラにも、あるいは名前を挙げきれない諸国民にも。


もし、無いのであれば――まさに私たち自身の人権が重要であればこそ――全力を以って、国家の利害や感情を越えてその不正義を非難していなければいけない。

【パリ=三井美奈】国連人権理事会(本部ジュネーブ)の作業部会は14日までに、中国の人権審査の暫定報告書をまとめた。各国から出された勧告は346件で、新疆ウイグル自治区の人権弾圧に関するものは米欧の約20件。アジアやアフリカは直接言及するのを避け、対中外交の温度差を反映する内容になった。

国連人権理事会 中国勧告300件以上 米欧が批判 - 産経ニュース

人権問題の非難について、ぢっと手を見る。


決定的な中国台頭さえなければ概ねこの普遍性について気軽に信じられていたんですよ。まさに冷戦が終わりとは『歴史の終わり』であると。しかし今ではその無邪気な楽観は通用しないように見える。
共産党の世界観に従え-香港巡り中国が世界的企業のCEOに警告 - Bloomberg
ポスト冷戦という世界は、中国の台頭によってその事実上の黙認しているという現実を、私たちにこれ以上ないほど無慈悲に突きつけている。
「どうだ、人権に普遍性などないだろう」という態度とともに。



私たちは口先だけではない実際の行動として、どれくらい『人権』の普遍性を信じているのだろうか?
普遍的な人権という存在について、現実的な「理解」が欠けているのは一体どちらなのか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:ネオコン? 知らんなあそんなモノは。