僕らはみんなイキリ正義太郎

現代日本社会に顕現するホッブズ的自然状態に似た地獄。


「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く (1/5) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)
ドトールとタリーズ、イートイン脱税を誤認する「正義マン」対応に知恵:日経ビジネス電子版
うーん、まぁ、そうねえ、個人的にはこういうお話だいすき侍。

 今春、定食チェーンの「やよい軒」が、無料だったご飯のおかわりを試験的に有料にするというニュースが流れた。運営会社は、おかわりをしない客から「不公平だ」という指摘があったと説明した。夏の参院選でれいわ新選組から車いすの議員2人が当選し、国会が改修されたというニュースには、ネット上などで「自己負担でやるべきだ」「我々の税金を使うな」といった反発がわき起こった。

 どちらも、批判する人自身が、何らかの負担を強いられたわけではない。ただ、自分以外の人が利益を受けているのが不快という感情。「他人の得が許せない」人が増えている。

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く (1/5) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

よくできた「いじわるじいさん・いじわるばあさん」な寓話っぽいよね。日本むかし話でありそう。
なんなら自分が損をするより、他人が得をする方がずっと許せないっていう、愚かで穢れた私たちの行動原理について。

だからこのお話って所謂正義マン云々というよりは、『囚人のジレンマ』あるいは『最後通牒ゲーム』など、行動経済学ではもうかなり明らかにされつつある、今更なお話でしょう。わりかしそれについて書かれた一般書ならどれでも載ってるっていうレベルの。



ということで、たまたまそういうニュースや風景が――消費税増税という大きなイベントもあって――目や耳に入ってくる機会が増えて、私たちの興味関心がそちらに向いているだけだと思うんですよね。。
避難所ホームレス拒否問題を巡る小木博明の発言に賛否「迫害助長」とも - ライブドアニュース
先日の台風騒ぎでの避難所ホームレス拒否なんかも話題になりましたけど、あれだって普段私たちは駅や公園でそれを見かけても冷徹に「見て見ぬフリ」どころか、初めから存在すらモノとして通り過ぎているんだから今更だよねっていう冷めた気持ちにはなります。
あるいは中東やアフリカで、何万人死んでも何十万人が難民になったというニュースを見ても、特に何も思うこともなく日常生活を送っているわけだし。意識していなければ、見なければ、初めから何の問題も起きていないのだ。それでいいのだ。
私たちの『正義』への意識なんてそんなもんだよね。良くも悪くも。


ともあれ、話を戻して、やっぱり行動経済学では基本的なお話でもあります。
自分の財布の中身とはほとんど無関係なのに、他人の得が許せないひとびと。
――もちろんそれは限りなく単純化された構図において、というエクスキューズは付きますけど。
ロバート・アクセルロッドなどが『囚人のジレンマ』なゲームを通じて明らかにしたように、プレーヤーは自分の利得を増やすよりも、相手の利得を減らすことに関心を示す。それは何も嫌がらせからというだけでなく、そこに絶対的ではない相対的な優位性を求めてしまうから。そうした構図で見れば、確かに相手の損は、相対的に自分の得となる。
そして、相手の得とは、つまり自分の損である。Q.E.D
私たちは絶対的な量よりも、他者と比較した相対的な「差」の大きさを追い求めてしまう。
いやあ社会的動物である人間らしい行動だよね。
なぜこうなってしまうのかはまだ諸説ある段階だそうですけれども、まぁ私たちの初期人類時代にあった原始的な競争状態な脳に戻ってしまうから、と言われていたりもするそうで。
囚人のジレンマが教えてくれるように、そうした原始的な本能を乗り越えてこそ、「協力こそ成功戦略である」な霊長類たる人間社会に近づけるはずなのにね。
なんだか精神的に余裕がなくなると、脳がおサルさん時代に戻ってしまう私たち。貧すれば鈍する。


あげくにその妬みを「不公平」やら「公共」やらで正当化を図ろうとする私たち。
まぁ昔から「非国民!」って罵ってた私たちだし多少はね。



「他者への妬み」こそが人間の本性である。
――しかしそれを乗り越えてこその、人間の理性でもある。
人間賛歌あるいは性善説なんかのポジションに立つ僕としては、結局のところこれってそういうお話だと個人的には思ってます。


みなさんはいかがお考えでしょうか?