誰ガ為のジャーナリスト

記者の質問が政治家たちの『説明責任』と、私たちの『知る権利』にどれだけ寄与しているか問題。


東京新聞有名記者vs.毎日新聞 問われているのは何か(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
望月記者の事実無根ツイート。毎日新聞が怒りの猛反論報道 ? アゴラ
「望月記者は指させない」…事実に反するツイート拡散 菅長官会見巡る異常事態 - 毎日新聞
「書く」宣言をしてしまったし、今更賞味切れ感はあるものの、いつものようにふんわり適当日記。

有料記事のため本編の詳細に関する記述は控えるが、リード部分で秋山記者は「昨年12月下旬以降、質問希望者が残ったまま菅氏の会見が終了することが増えている理由」として以下のことを挙げたうえで、

  • 桜を見る会」や新型コロナウイルスを巡って全体の質問数が以前より増えた
  • 12月下旬~1月上旬は、正月休み前後の慣例で会見が1日1回だった
  • 1月中旬以降は菅氏が国会への出席を求められ、会見に割ける時間が限られた

本編では「望月記者が不当な扱いを受けている」との主張に対し、質問時間に余裕があった会見に望月氏が2度不在だったことなどに触れつつ詳細な反論を展開。また毎日新聞として問題のツイートの削除要求や質問状を望月記者と東京新聞編集局に送っていることを明かした。

望月記者の事実無根ツイート。毎日新聞が怒りの猛反論報道 ? アゴラ

民主主義制度を愛する私としては、基本的には(例え内輪向けで会員制な『記者クラブ』だとしても)こうした記者会見はあって然るべきだとは思うんですよね。
少なくとも彼ら彼女らが質問することで、政府がどのように考え行動しているのかを自身の声で語らせることができるから。
まさにそれこそ『説明責任』でしょう。
――そして私たち有権者はその説明を聞いたうえで、その説明に対しての賛否を判断できる。


敢えてスノッブ的書き方をするならば、当然その守護者たらんとする望月さんも著作を読んでるだろう自由民主主義政治研究において長らく『長老』だったロバート・A・ダール大先生が言うように「民主主義社会に生きる私たち市民には情報を知るための基本的権利」があるわけですよ。
それがあってこそ、ヨーロッパも、アメリカも、そして日本も、理論上の自由民主主義制度の理想像とはかけ離れた現実の政体でありながら、私たちは少なくともそれによく似たポリアーキーとして維持していくことができる。
ザ・『知る権利』
じゃあ何故その権利が重要なのかって基本的なお話をすると、そしてその権利を用いて「信頼できる(ここ重要)」正確な情報を得た上で、有権者たる私たちが適切に投票行動をすることが求められているわけでしょう。
故に『知る権利』は私たちにとって重要である。Q.E.D.
以前も通常日記で少し紹介したお話ではありますが、

「問題は(弾劾罷免に相当する問題行動を)大統領が行ったかどうかではなく、大統領がそうしたか判断するのが合衆国上院なのか、それともアメリカ国民なのかだ。月曜にアイオワで始まる大統領選挙で国民がその判断をするよう、憲法は規定しているのだと私は考える」

【弾劾裁判】 野党・民主党に打撃 頼みの共和党穏健派が証人召喚に反対 - BBCニュース

まさにこの言葉は民主主義政治の本質の一つだと思うんですよね。
その政治家たちの振る舞いの『正しさ』を決めるのはジャーナリスト様でもマスコミの中の皆様でもなく、主権者であり有権者である私たち自身でもある。


ところがぎっちょん、その「何が正しいかはオレタチが決める」的振る舞いが――せめて隠せばいいのに――あからさまに透けて見えている、と批判されているのが昨今の「反マスコミ」トレンドでもあるわけで。
その意味で言えば、我々が自主的にすべき「視聴者の判断」を歪めんと企図する報道には、やっぱりクソだと言うしかない。
だからこそ、そんな傲慢さの極北としてある某『椿事件』も批判されていたわけだし。
どこが政権を取るかを決めるのは私たちなのに。



報道とは判断するための「信頼できる」素材を提供するだけでいいはずが、まさか何が正しく・何が間違っているのかまで私たち教えてくれるだなんて……。
爆発すればいいのにいやあ至れり尽くせりだよねえ。




ということで本題に戻って、


ここで東京新聞労組さんが言うように内閣記者会見という私たち『知る権利』の機会にとって重要なのはそこではない、という言葉にはそれなりに説得力があるとは思うんですよね。
――まぁでもここでもやっぱり、対峙する姿勢と言っている時点で「何が正しい質問なのかは自分たちが決める」的な愉快な思想が透けて見えてしまうんですけど。
報道として一番重要なのは、「官邸の記者会見のあり方」でも「内閣記者会が政権に対峙する姿勢」でもなくて、(ここでは官房長官に)『説明する責任』を果たさせているか、そしてそれをきちんと過不足なく正確に報道して私たち有権者の『知る権利』を助けているか、の二点でしょう。


私たちが有権者として政治家について適切に評価できるだけの「正確で信頼性のある情報の提供」という機能を期待されているからこそ、マスメディアは権力監視=民主主義政治において重要だとされているし、
逆説的にそれをやっていないのであれば「マスゴミ」と罵られても仕方ない所業であります。
はたして望月さんは誰の為のジャーナリストなのか、ということに疑問を持たれてしまっている、という現状には解らなくはないと同意するしかないかなあ。



ただまぁ余談ではありますが、この辺のお話って去年にも書いたように愉快なジレンマか二律背反な構図が続いていて、やっぱり端から見る分にはいいぞもっとやれととポップコーン片手に眺めたい炎上風景でもあるんですよね。
チキチキ誰が一番日本のジャーナリズムを阻害しているのか選手権 - maukitiの日記
もし本当に、東京新聞労働組合さんが言うように望月記者の質問が「不当に」制限されていることで不利益があるのであれば、結果としてそもそも記者クラブという許可制=閉鎖的枠組みでやっている記者会見の正当性を失うことになるし、逆にそこに問題がないのであれば会見主催側と官房長官の対応の正しさと「同時に」記者クラブの正当性も担保されることになる。
いやあ、当事者でない私たちには正直どっちに転んでも愉快なお話だよねえ。





望月記者への質問制限の有無と、その正当性について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?