自由は死すとも人びとは死せず

別タイトル案は「ところがどっこい生きていく香港」。




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ということで通常日記でも少し触れましたけども、ついに中国が香港で一線を越えてしまったそうで。
まぁ以前から既に帰還不能点としては既に越えていたので今更だろう、という見方も概ね正しくもあるんですが。

弁護士や法律の専門家たちは、中国による「香港国家安全維持法」(国安法)は香港の法制度を根本的に変えるだろうと指摘している。

この法は複数の行為を犯罪とみなし、最高で無期懲役を科すとしている。そして中国大陸側の保安担当者が香港で合法的に活動することを認めている。

これにより、中国中央政府はこれまでになかった広範な権力を得ることとなる。法制度をはるかに超えて、香港での生活を形作る。

【解説】 香港の「国家安全法」 なぜ人々をおびえさせるのか - BBCニュース

香港でどうにか生き延びていた、中国版自由民権運動の終わりの始まり。
まぁ冷笑的な見方をすれば、そもそも「中国本土と同じレベルになるだけ」という身も蓋もない言い方もできてしまうんですが。
――つまり、タイトルで書いたように「自由は死すとも人びとは死せず」なんですよね。
まさに中国本土の人たちが、香港住民や中国国外住む私たちが確信している自由や政治的権利が無く、更には検閲が日常にあっても「ところがどっこい生きている」ように。




ここで他人事として面白がってばかりいられないのは、そうした「自由が奪われてもまぁそれなりに続いていくだろう現実」って、おそらく我々の社会自身に当てはまる『不都合の真実』でもあるわけでしょう。
実際にそれでまぁ概ねうまくやっている――どころか私たち日本をあっさり追い抜いて世界第二位の経済大国になった中国という実例が目の前にあるのだから。
現代社会に生きる我々が、自分たちにはあって当然だと素朴に感じている*1民主的な政治体制や自由主義というのは、実は、ぶっちゃけ、無くても別に困らないモノだということの実例として。


西洋型経済システムの限界がリーマンショック等で露呈したように、
次は西洋型政治システムの限界が明らかになりつつある――のかもしれない。
それなりに国際ニュースにアンテナを張っている人であれば、ヨーロッパの政変でも薄々考えてきたことではあるし、それこそトランプ政権の誕生からアメリカの現状に至っている構図を見るとまぁ心穏やかではいられない。
一国二制度で守られてきた香港の政治システムを、ここにきて中国政府が一挙に動いた要因の(大きくはないにしても)一つとしてあるのは、まぁそうした自己成就的な確信と展望があるわけで。
歴史はやはり終わらなかったのだ、なんて。


香港における自由の死というのは、それでも大多数の市民は自由が無くても生きていくことができる、という一つの未来を私たちに教えてくれることでしょう。
これまでは我々が空想の産物として語っていた、自由が失われたあとの現代社会、というモデルケースとして。
それが希望の未来なのか、絶望の未来なのかはわかりませんけど。


あるいは「生きてりゃいいのさ、喜びも悲しみも立ち止まりはしない」と歌ってみてもいいですけれど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:だからこそ簡単に「この」中国共産党政府を差し置いて自国政治家についてヒトラーナチスのレッテルを持ち出すわけでしょう。ところが、以前も日記で書いたようにランシマンに言わせればそうした過信こそが『民主主義を殺す』要因になる。「それでも私たちは信じている、民主主義のチカラを」という陥穽 - maukitiの日記