市民は「平等なワクチン接種あれ」と言われた

すると効率は消えた。市民はその平等を見て、良しとされた。


行革相「完全に僕の失敗」 ワクチン予約殺到巡り(共同通信) - Yahoo!ニュース
先日の通常日記でもちょっとだけ触れた、ようやく始まりつつあるワクチン接種をめぐる「効率と公正さ」についての面白いお話。

 河野太郎行政改革担当相は12日夜のTBS番組で、新型コロナウイルスワクチンの高齢者接種予約が殺到している事態について「効率性より住民の平等性を重んじる自治体が多かった。これは完全に僕の失敗だ」と陳謝した。

行革相「完全に僕の失敗」 ワクチン予約殺到巡り(共同通信) - Yahoo!ニュース

大多数の善人たる私たちは、ぶっちゃけてしまえばできる限り「自分と家族」を優先して欲しいと思っている一方で、しかし素朴な善性として他者には公正であって欲しいとも願ってもいるわけで。
そんな矛盾した二面性=二律背反を抱えているのが、私たち人間でもあります。現在でも行動経済学の最終提案ゲームなどで研究が続く人間行動についての難問。そらそう簡単に上手くいくはずないよね。
だからこそ「人間って面白!!」とか悪魔に言われちゃうんですけど。


ともあれ、ここで面白い構図だと思うのは、単純に効率よりも公正さが重要だからそうしているのではなくて、むしろそうした自身が後回しにされることの『納得できる理由』『正当性』としては効率よりも公正さの方が強力でである、という点からそうしているように見える所だと思うんですよね。
身も蓋もなく言ってしまえば、クレーマーなうるさい市民を黙らせるためにこそ、一部の自治体は平等性を重んじるようになっている。
あるいは効率を追求したものの失敗した際と、平等さを追求した際の失敗した際の、ダメージコントロール・言い訳としても。

  • 効率のために(自身の順番が)犠牲にされるのか。
  • 公正のために(自身の順番が)犠牲にされるのか。

――もし自分が多くの人たちを説得しようと考えた場合、一体どちらがより多くの人たちを納得させられるだろうか?
と考えた場合にまぁやっぱり後者の方がより多くの正義感に適ってしまうのだろうなと。
公正世界信念に似た何か。
公正な社会であって欲しいと素朴に願う気持ちが、結果として効率性を損ねているのは、まぁやっぱり私たち人間社会にあるあるな構図で愉快な気持ちにはなってしまいます。
仕方ないよね。市民たちは神ならぬ主権者だもん。





ちなみに、以前にも日記で書きましたけど、こうした緊急事態下における究極的な効率性追求の実行に必要なことって、実は割と簡単ではあるんですよね。
女性や子供が難破船上で助かる為のたった一つのさえたやり方 - maukitiの日記
最終責任者である『船長』が銃を持ち出す覚悟をもってそれを実行できるかどうか。

結局のところ、上記タイタニックやバーケンヘッドでの事例のように、船長の騎士道精神が優れているかどうかというよりも、混乱を防ぐ為に「銃を持ち出す覚悟」があるかどうか、が重要なのでしょう。秩序さえ保とうという意識さえあれば、現代人である私たちは、おそらく女性や子供を優先する、といった行為を自然にやると思うんですよね。秩序さえ保たれていれば。

女性や子供が難破船上で助かる為のたった一つのさえたやり方 - maukitiの日記

問題解決として簡単なんですよ。緊急事態なんだからしかたないと、説得ではなく銃で従えてしまえばいい。
効率を追求することで起きるだろう人びとの不満を、強い権限を持って無理矢理黙らせ秩序を構築することができるかどうか。
その強引な方法を責任者がとる覚悟を持つことができるかどうか。

日本の接種、世界100位以下 発展途上国の水準、欧米と差 | 共同通信
結局のところ、日本社会における「効率的なワクチン接種」の成否はその点に掛かっていると僕は思います。
いやまぁ全国民に今すぐ叡智を授けることで、「公平さよりも効率」という同意を得ればいいのだという民主的にも完璧な作戦を立ててみてもいいですけど。
ぼくは実現不可能だとおもうよ。


自治体のトップはそうした覚悟を持つことができるだろうか?
――あるいは腰砕けになってさらに上の政治責任者に決断を丸投げすることになるのだろうか?
オリンピック開催是非については個人的には政治判断もクソも無いと思ってますけども、しかしこちらのワクチン接種の方は責任者による政治的判断はそれはもう重要な『覚悟』『資質』が問われているのではないかなあと思います。
まさにコロナを克服するための決断として。


我々の選んだ首長や政治家が、危機に際しての優秀な船長たりうるのか。いやあ期せずして解りやすい評価基準ができてしまったよね。
みなさんの選んだ首長はいかがでしょうか?