いつの日か我々も誰かにウクライナにされるかもしない、ということを決して忘れないようにしよう

ハイチ代表はやっぱり良いこと言っていたよねえ。(当日記でこのネタ擦るの4回目)


EU、「率直な対話」でロシアと安全保障協定策定を=仏大統領 | ロイター
ロシア、「短い予告」でウクライナ攻撃も 外交努力を継続=米国務長官 | ロイター
ということでみんな大好きウクライナ情勢であります。演習が動く来週再来週あたりが山場なのかな。

ロシアの元外交官で外交政策アナリストのウラジーミル・フロロフ氏は、21日に予定されるブリンケン長官とラブロフ外相の会談について「列車が大破する前の最後の停車駅」と形容。ロシアがベラルーシに共同軍事演習のために軍を派遣したことは「深刻なエスカレーション」だとし、「米国が一歩後退し、ウクライナをロシアに引き渡さない限り、何らかの軍事的な選択肢は回避できない公算が大きい」と述べた。

ロシア、「短い予告」でウクライナ攻撃も 外交努力を継続=米国務長官 | ロイター

「米国が一歩後退し、ウクライナをロシアに引き渡さない限り、何らかの軍事的な選択肢は回避できない公算が大きい」
そんな身も蓋もない。
しかし修辞で飾ってきたもののロシアとしてはほとんど常に一貫した主張ではありますよね。それはまた歴史的に見て――ズデーデンやあるいは満州の方を見ながら――割と目新しい主張というわけでも絶対にない。
いやまぁ今は2022年やぞと言われるとこれ以上ないほどぐう正論でもあるんですけど。



ここからまさか世界大戦がはじまるなんてことは、(ヨーロッパやアメリカのやる気のなさを見ても)さすがにありそうもない。
しかし、中東や北アフリカなどの『辺境』ならいざ知らず、ヨーロッパとこれ以上ないほど近接したウクライナでも同じ事が起きれば、いよいよ「明日は我が身」と考える国は増えていくでしょう。
それはつまり、この期に及んでも無力な国連――ひいては「多国間の安全保障対話」といった条約や協定の無力さという意味でも。
米中参加のアジア安保機構、日本主導で創設を 公明代表: 日本経済新聞
前回の通常日記でも少し言及しましたけども、今問われているのって本邦にも沢山いるヘイワを愛する人たちが日頃言っている「対話」「話し合いで解決」という選択肢の正念場だとも思うんですよね。

緊張が続くウクライナ情勢を巡り米国や欧州各国が加盟する欧州安保協力機構(OSCE)は13日にロシアと会合を開く。山口氏は「OSCEが対話の重要な役割を担う」と指摘した。

そのうえで「アジアで中国やロシア、米国を含むような対話の常設的な機構はない」と述べた。OSCEに相当する組織が必要との認識を示した。日中韓やインド、東南アジア諸国連合ASEAN)加盟国などの参加を念頭に置く。

米中参加のアジア安保機構、日本主導で創設を 公明代表: 日本経済新聞

それは単純にウクライナ一国の命運を越えた、国際関係のトレンドを決める正念場でもある。OSCEが重要な役割を担うんですって。
米ロの主張、平行線のまま OSCE協議終了、対話中断の懸念強まる:朝日新聞デジタル
……あっ、ふーん。
もし今回のようなケースを抑止できないのであれば、その存在意義すら疑われるようになってしまう。それって正しい意味でのモラルハザードだったんじゃない?
そうした『対話』『外交的解決』の枠組みの無力さがあからさまになってしまうと、次に待っているのは……。

かつて1935年にイタリアがエチオピアに侵攻したものの、国際連盟の圧力と制裁は結局その侵略行為を止めることはできなかった悲劇に際して、国際連盟のハイチ代表の言葉がふたたび蘇る世界へ。

「大国か小国か、強国か弱国か、近隣の国か遠方の国か、また白人の国か非白人の国かを問わず、いつの日かわれわれもだれかにエチオピアにされるかもしれないとうことを、決して忘れないようにしよう」

(中略)
いやあ軍靴の足音が聞こえてくるよねえ。
それはなにも、とある独裁者の思い付きでも、あるいは国民のウケイカからでもなく、「いざというときには同盟国も国連も、窮地の自分たちを誰も救ってはくれない」という国際社会の現実に後押しされる形でこそ。

「いつの日かわれわれもだれかにクルドにされるかもしれないということを、決して忘れないようにしよう」 - maukitiの日記

やっぱり北の指導者サマの安全保障戦略核兵器戦略は正しかったのかもしれないね。ウクライナソ連崩壊の時に核を返さなければ良かったのだって彼なら言いそう。


はたして今回の2022年では、欧米露は戦争を回避できるのだろうか?
――仮にできたとして、あるいはその後にロシア侵攻に対して事実上の黙認をこれまで同様続けた場合に、その後の『見捨てられたウクライナ』という冷酷な現実は、一体どのような影響を国際関係に与えていくのだろうか。




「大国か小国か、強国か弱国か、近隣の国か遠方の国か、また白人の国か非白人の国かを問わず、いつの日かわれわれもだれかにウクライナにされるかもしれないとうことを、決して忘れないようにしよう」なんて。
あるいは「すべては終わった。見捨てられ打ちのめされたウクライナは沈黙と悲しみに包まれて闇の中に退場する。……われらの護りは恥ずべき無関心と無能にあったこと、われらは戦わずして敗北したこと、その敗北が後にまで尾をひくことを知れ。……これは終わりではない。やがてわれらに回ってくる大きなつけのはじまりにすぎぬ。*1」でもいいですけど。


クリミアに続き、更には(今懸念されているように)ウクライナ半分が無くなってしまっても座して見守る事しかできなかった私たちについて。
将来の歴史家たちは一体どんな評価をくれるのでしょうね。
ということで個人的には、ここまで状況が進んでしまった以上、戦争にしろ平和にしろもうどっちに転んでもそれぞれ別の地獄しかないよなあと思ってしまいますけども。
みなさんはいかがお考えでしょうか?