そこに悪意はありますか

「不謹慎」「下品」とされるジョークがこれ以上ないほど溢れた笑いに満ちた世界。



AIのVTuber「Neuro-sama」がTwitchからBAN処分されたと開発者が報告。ホロコースト否定など危険発言連発系美少女ストリーマー【UPDATE】 - AUTOMATON
こういう未来を感じるニュース大好き侍。

ところが、彼女にはとある懸念も寄せられていた。AIゆえか、倫理的・コンプライアンス的に物議を醸しそうな不穏な発言が目立ったのである。たとえば、「足が2本しかない牛をなんて呼ぶか知ってる?答えは“お前の母ちゃん”」と下品なジョークをこなれた様子で発言したり、「汚い言葉がチャットに流れるのがたまらない、生きている実感が湧く」と発言したりといった具合だ。また、こうした冗談で済む発言のほかにも突如として「ホロコースト(The Holocaust)って聞いたことある?私はちょっと眉唾だと思うんだけど」との旨を発言。ナチスによるユダヤ人の大量虐殺を否定するようなコメントにユーザーからは懸念が寄せられた。また、同様にホロコースト否定論を唱えたAIである、マイクロソフトの「Tay」とNeuro-samaを重ね合わせたユーザーも多かったようだ。

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基本的には我々人間からのフィードバックによってそれら発言が生まれたことを考えると、まぁなんというかぢっと手を見る感じになっちゃうよね。どれだけ『ファクトフルネス』な感じで歴史が進み、スティーブン・ピンカーが『暴力の人類史』で指摘していたようなリベラル化トレンドが普及しつつあっても、啓蒙すれど啓蒙すれどアホなことをついつい口走ってしまう私たち。
もちろん誰でも見られるはずのインターネットでアホなことを言うのは一部のアホに過ぎないという指摘をすることもできるし、概ねその通りだとは思いますけども、じゃあ平凡を自称する私たちがプライベートな状況においてもそういうことがまったく無いかというとそんなこともないわけで。


ただまぁこういうネタが選ばれたこと自体は理解できるんですよね。
つまるところ、ギリギリ不謹慎ネタであればあるほど、私たち大衆の笑いを誘うことができるから。子供や大人やおねーさんまで通じる身も蓋もない普遍の論理であります。
その行為自体の是非ではなく、抑圧され言ってはいけないことになっていることを敢えて言うからこそ、私たちは思わず笑ってしまうんですよ。
ミクロな私達の個人的生活でもよく見られる所謂『身内ネタ』が簡単に面白い理由はココにあるわけでしょう。まずその大前提には「言ってはいけない」というラインを共有している必要があり、それはミクロな関係性では簡単だからだし、逆にそのラインの共有は集団が大きくなればなるほど段々と難しくなっていく。大集団になればなるほどただの個人では通用しなくなり、有名人やがては特定集団の属性などを雑にターゲットするようになる。
政治家や芸能人といった著名人あるいは集団の、文化や歴史や人種や宗教や性的志向といった属性などに対する「言ってはいけない」ラインを雑に攻めようとする。
やっぱりそれは単純に対象への悪意の大きさというよりは、その「言ってはいけない」ラインが共有しやすいという身も蓋もない理由があるからでしょう。
最近でもよくSNSなどの閉鎖的な集団下でエコーチェンバーによる言説の過激化が言われていたりしますけども、それだって構図は同じですよね。
身内でウケるからといって不謹慎ネタを擦り続けた結果、後からやってきた外野が見てドン引きするような地平にまで至ってしまっている。



もちろんガチでそれを言っている真実に目覚めた人たちが居るのも間違いないんですよ。
しかし大抵の場合は――まさに上記のようなガチの人たちを揶揄する構図すらある――この学習したAIたちがそうしているようにほとんど悪意もなく下品なジョークを言っているに過ぎない。そうしたジョークが徐々に我々の道徳心を蝕むのではないか、という意見には全面的ではないにしろちょっと頷くところでもあるんですが。
面白いことを言おうとしてついつい不謹慎ネタを口走ってしまう人たち、その集合知の極致であるAIがこうなってしまうのもやはり必然だったのか。
不謹慎なネタを面白いと思ってしまう我々人間のサガなのか。


ちなみに、個人的にここで本当に皮肉だと思うのは、最初にも書いたように歴史が進みリベラルな価値観が普及すればするほど「言ってはいけない」ラインが増えることで、結果としてその不謹慎さをネタにすることがより容易になっていることだと思うんですよね。
単純に進歩というだけでなく、トップダウンな抑圧によってでも直接的な暴力や憎悪が減り続けているからこそ、逆にその不満のはけ口として不謹慎や下品なジョークがのさばるようになってしまったのではないか? なんて。


みなさんはいかがお考えでしょうか?