通常日記

手抜き日記。
 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

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  • 劇場版ゆるキャン△が憎い
    • ゆるキャンは未だにkindleで買っている数少ない漫画でもあるのでぼくにも一家言あります。わかるわかる~、原作派としては巻末おまけ漫画で実際に描かれた将来である世界的セレブになったなでしこが遅刻してヘリでやってきたり、全員がお祖母ちゃんになってキャンプ場でまったりしていないのが不満なんだよね!!1
    • とまぁマジレスすると、概ねこれは他の誰でもなく書いている本人が「メインキャラ全員大卒でストレート就職」という(他にも突っ込みどころは一杯あるものの)設定がとにかく一番気に入らない、という身も蓋もない自己紹介のお話だよね。氷河期世代という悲しい日本の現実だよねえ。でもアベノミクスを経た日本の失業率でこんな悪魔が召喚されてしまうのだから、海外では一体どんな悪魔が生まれてしまっているのか……。
    • 個人的に『ゆるキャン△』で一番突っ込みどころとして痛い所ついているなあと思うのは、上記の「全員大卒でストレート就職」よりも、割と頻出するLINE描写で「本当の女子校生はこんな会話しない」というやつで、それはそう・せやなと頷くしかない。でもきっと上記の人はその部分は許せるんだよね。しかし大卒ストレート就職は許せない、っていうやっぱり悲しいお話。

 

*1:個人的にはあまり同意できませんけど

『原罪』に苦しまない人たちを責める人たち

あるいは、ウクライナ侵攻で色々と露呈しつつある日本の平和運動()を牽引していた人たちの実態を敢えて露にすることで『社会を木鐸』するという高度な作戦。




「殺したらいけない」がなぜ言いづらい 徹底抗戦が支持される危うさ:朝日新聞デジタル
まぁそうした意見を持つこと自体は否定できませんけども、それが現代社会ではもう少数派であることは否定しようがないよね。
(日曜に想う)踏みにじられた命の価値を取り戻す ヨーロッパ総局長・国末憲人:朝日新聞デジタル
同じ朝日新聞内でも意見が割れているあたり面白いと思います。僕はさすがに後者を応援しますけども、しかし前者を応援している人たちはどう思うかな!?


ともあれ、今回のお話もまたウクライナ侵攻で色々と露呈しつつある日本の平和運動()を牽引していた人たちの実態を露にすることで、社会を木鐸するという高度な作戦をしているのか、それとも本気でそれがウクライナの平和に繋がると考えているのか割と判断に悩むラインではあるんですけども。

――徹底抗戦や即時停戦をめぐる議論をどう見ていますか。

 「ロシアが悪いのは明白です。ですからウクライナの徹底抗戦という態度に否定し難いものを感じてもいます。しかし、戦争体験者がたくさん生きていたら、もっとゼレンスキー大統領に対して違和感を言う人がいてもおかしくないのではないかと思います。自らの戦争体験に基づき、『いかなる理由があっても国家によって人殺しをさせられるのは嫌だ』という思想を持った人が何人も思い浮かびます。彼らだったらプーチン大統領だけではなく、国民に徹底抗戦を命じるゼレンスキー大統領も批判の対象にしてもおかしくありません」

「殺したらいけない」がなぜ言いづらい 徹底抗戦が支持される危うさ:朝日新聞デジタル

ここで解っていながらインタビュアーが望むことを敢えて言っているのか、あるいは天然なのかは解りませんけども、事実上どストレートで身も蓋もないことを言っていて、

戦争体験者がたくさん生きていたら、

戦後しばらくの間は影響力を持っていた、どんな形であろうと(自由や人権を犠牲にしてでも)戦争のない平和状態こそ尊ぶものである、というユニークな日本特有の『原罪』さえ生きてれば、なんて。
つまるところ、戦争体験者がたくさん生きていたら、侵略戦争に抵抗する徹底抗戦に反対する人たちも多かっただろう、と事実上そうした人たちをdisっているのはとても面白いと思います。なかなか高度な皮肉だと思います。マジで言っているのだったら……うん、まぁ、そうねえ。



しかし所謂戦争体験者のみなさんがそういう気持ちを抱くこと自体は理解できるんですよね。
戦うって何?:「戦わなければ殺される」ウクライナと日本を隔てる戦争の記憶 | 毎日新聞
岩下明裕先生なども指摘していますけども、つまるところ「国家の総動員体制によって戦争に参加させられた」というのは私たち日本人のある種の『原罪』でもあるから。いくら不合理であろうとそれに拒否感を示すのは不思議じゃないんですよ。
死者を減らすためにウクライナ抵抗するのを止めて降伏するべきである、なんて。
まぁ仕方ないよね。時代も場所も状況も何もかも違うのだけれども、私たちのかつてのトラウマにぶっ刺さってしまったんだもんね。
でもそのローカルな原罪意識が、あたかも普遍的価値観であるかのように振る舞うのはちょっと恥ずかしいんじゃなかとは愚考いたしますけども。


一方でこうした『原罪』を抱えているのは私たち日本人だけでは絶対にないわけで。
それこそ有名なところではドイツではホロコーストという『原罪』から大規模な難民受け入れを表明した(そして失敗した)し、他のヨーロッパでもそれは多かれ少なかれ同様で故に虐殺まで起こっているウクライナ侵攻に対しての一定以上の支援というコンセンサスは共有しているし、あるいはオーストラリアでは国家の成り立ちそのものでもあったアボリジニの征服は文字通りの意味で『原罪』であり続けているわけだし、そしてアメリカはもちろん黒人奴隷問題という形で。
みんなそれぞれ違った形でユニークな国家の『原罪』を抱えながら生きている私たち。
今回のウクライナ侵攻で、本邦において様々な形で見られる捻じ曲がった平和についての議論ってつまるところそういう所に理由が求められるんじゃないかと思います。


そして、悲しいかなそうしたローカルな原罪意識から生まれたローカルな価値観というのは、しばしば、世界の潮流と乖離することになる。
やっぱ最初にも書いたように、ウクライナ侵攻で色々と露呈しつつある日本特有の平和運動()を牽引していた人たちの実態を露にすることで『社会を木鐸』するという高度な作戦なんじゃないかな? 
そうじゃなかったらここまでアレな人たちを何度も取り上げている盛大な自爆にしかみえないんですけども。いやまぁそういうニッチな商売も必要だしね。さすが軽減税率をもらってるだけあるね!


みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

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手抜き日記。
 

 

  • 台湾が迫る欧州の覚悟: 日本経済新聞
    • 自分たちが戦争をしないだけなら話は簡単なんですよ。それでも世界から戦争が無くならないのは「他の誰か」がそれをやるからなわけで。じゃあその際に一体どういう態度をとるべきなのか、というのが平和教育のもう一つの側面であるわけでしょう。
    • はたして戦後日本の平和教育は、台湾問題で一体どういう選択肢を迫ることになるのでしょうねえ。

 

 

 

 

 

  • 太田光 マスコミの“統一教会叩き”に再び警鐘も薄い共感「サンジャポは今まで何してた?」(女性自身) - Yahoo!ニュース
    • 普段は天邪鬼が過ぎるのであまり同意できませんけども、しかしこの件については割と同意できるお話だとは思っています。結果として犯人による「暴力による主張」に同情的なのは五・一五っぽくて歴史が繰り返す音を感じるよねえ。この世論を見た人たちが次は二・二六をやるんですねわかります――という点から彼が警鐘を鳴らそうとするというのはやっぱり理解できるなあと。
    • ともあれ利害関係にない外野から眺めている限りでは、結果として、むしろ安倍さんへの好感がそのまま統一教会への反発に繋がりそれがまた岸田さんへの不満につながっている、というのはピタゴラスイッチというか政治って先が読めなくてむつかしいなあとしみじみ感じています。

 

 

 

  
 

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お盆休み手抜き日記。
 

 

  • ペロシ議長の訪問に台湾人はなぜ熱狂したのか  Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン)
    • 割と専門家からは批判的に語られることの多かったペロシ訪台についての、台湾側からの面白い解説。
  • 「しかし、台湾人はあえてそのペロシ議長の思惑に乗ったような印象がある。台湾にとって、一番恐ろしいものは何か。それは、中国のミサイルではなく、国際社会での孤立である。台湾はもとより1970年代以来、国連の座を中国に奪われ、次々と友好国から断交を突きつけられ、存在自体が世界から忘れ去れていく不安を抱えている。」
    • というのは「いつか我々も誰かにとっての台湾にされないように気を付けよう」といういつもの箴言を思い出してしまうお話。

 

 

 

  • 「ウクライナが民間人を危険に」とアムネスティ報告 猛反発受ける | 毎日新聞
    • 上記日本の平和主義と同様に、アムネスティなどの人権団体にも辛い時代だよねえ。もちろんウクライナにも罪の部分があるのは間違いなくそれを是正させることは重要ではあるものの、じゃあまったく話を聞く気のないロシアの態度との差にどうやって『差』を付ければいいのか、というのはその人権団体の存在意義に関わる致命的問題でもあるわけでしょう。
    • もちろん人権問題を重視することでウクライナ軍を抑制させ、結果としてロシア軍に有利にすることの何が悪いと開き直ることもできますけども、それはそれでロシア支配地域での蛮行について一定以上の責任を背負う事にもなりかねないわけだし。
    • まぁ本邦の和平派()のようにそのバランスについて何も考えずに発言してもいいですけども、しかしさすがに誠実であろうとやっている彼ら彼女らが本気で苦労しているのはよく解るよね、

 

 

 

  
  

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手抜き日記。

 
 

 

 

 

  • 「中国料理店があるから台湾は中国」 報道官ツイートに失笑の嵐 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
    • さすがに現地でもガチエリートのはずの彼女ですらこういうアホなことを言うのは、逆にちょっと人間臭さを感じていいよね。
    • いやまぁマジレスすると本人としてはナイ教授の議論ような「台湾は中国のソフトパワーの影響下にある」という主張をしたいんでしょうけども、まぁ台湾世論を見ると……。ぶっちゃけ本邦にもよくいる「日本は東南アジア諸国なんかに愛されている親日!」と無邪気に信じる日本SUGOI論な人たちと同じ発想で、やっぱり中国にもこういう人いるんだなぁとほっこりするお話ではあるよね。いや中国だからこそ、という点でもむしろ日本にいる人のほうが中国的価値観に似ているというべきか。

 

 

  • 「勝つ」と思っているプーチンに西側がやるべきこと  Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン)
  • 「意外なことという訳ではないが、注目すべきは、この論説には交渉に一切の言及がないことである。プーチンには交渉するつもりはないと思われる。」
    • そんな身も蓋もない。もちろん「今は」という意味であって、戦争が勝利で終われば対話することになるんでしょうけど、それこそ「今この瞬間に」対話を出来ないのでれあればそもそも対話をしようという主張には全く意味がない、と見做されるのは仕方ないよね。やっぱ軍事力こそパワー!

 

 
 

「本当にかわいそうな人たちを助けてあげた~い!」という素朴な善意によって舗装される道

君たちも考えるのをやめてBI論者になろう。




競輪場にもパチンコ屋にも行ったこのない「お育ちのよろしい」人が貧困問題に出会うと「解釈」を間違えるという話→「理解が出来ない」 - Togetter
afurikamaimaiさんのところお気持ち大事。 - afurikamaimaiのブログで見かけた面白いお話。


「お育ちのよろしい」人がただアホなことを言っているようで、しかし実は人間の善意についての本質を突いたお話だとは思うんですよね。
「しょーもない人間がしょーもない行動をとり続けてそのまま貧困になる」ということが理解できないというのは、まぁ確かにその通りなんでしょうけど、しかし逆から見れば物語さえあれば「(主観としての)かわいそうな人たち」を赤の他人であろうと救済しようとする積極的なモチベーションにも繋がるわけだし。むしろメリットデメリットで言えば前者の方が大きいんじゃないかな。
日本語で言えばそうした「憐み」の感情というのは、実際のところ人間のポジティブな一面なのでしょう。


しかし率直に見れば、やっぱり『物語』がなければ「救済する価値無し」と切り捨てる態度は、努力教というか新自由主義的というか生存バイアスというか公正世界信念のような割りとアレな部分でもあります。サンデル先生なんかが問題視している構図そのまんまだよね。
特にこうした構図がこれ以上ないほどあからさまなのがアメリカ社会でもあって、寄付や善意や助け合いといった取り組みを重視するリベラル州における、ホームレスやスラム街が異常な規模になっていることの逆説的な証明というか、格差社会アメリカの縮図にもなっているわけでしょう。
――まさに今回の件のように、『物語』のある貧困や被害者は善意あるリベラルな人々によってこれ以上ないほど劇的に救済されるものの、しかし大都市において足下に溢れまくっているホームレスや薬物中毒者たちは不可視かつ不可触な存在となって救われることはない。


しばしば、現実の貧困支援の現場でも言われるお話ではありますけども、まぁそこでは善意から救済しようとしても感謝されるどころか、むしろネガティブな感情をぶつけられることだって少なくない。そうした中で支援を続けていくのは単純に善意ではどうにもならないのがほとんどなんですよね。リターン無しでやっていけるのは聖人と称されるレベルでもある。
故にそこに僅かでも救いを、『物語』を見出したくなってしまう、という内心の理路は同じ凡人としてすごく理解できるんですよ。
その意味で、やっぱり今回の「お育ちのよろしい」人たちやあるいはアメリカのリベラルたちだけが特殊なのかというとおそらくそうではないし、やっぱり誰もが多かれ少なかれ感じている人間の本質というか個人の『善意の限界』という構図なのだと個人的に理解しています。


ちなみに昔からこうした貧困問題を避けては通れなかった私たちの社会ではありますけども、その解決策の一つが個人の善意によらない宗教などの信仰心由来の『使命』としての救済でもあるわけで。
そこでは神などの高次元の存在でワンクッション置くことで「救済する人」「される人」間のしがらみを緩和させ、個人の善意が折れても尚弱者救済を続けることができるようになっている。
政教分離を訴える現代社会でも尚、教会や寺院がそうした役割――しかしこれは下手をすれば最近話題の「カルト」と紙一重である――を果たし続けているのは皮肉なお話ですよね。
しかし生活から宗教を切り離すことを目的としてきたライシテな現代人たる我々にはそうした方法を大々的に行うことも最早難しい。やっぱロシアやトルコなどのイスラムなどの宗教国家こそが次の時代の主役になるかもしれんね。政教分離とかくそ!





かくして対話し説得するのを諦めた「考えるのをやめた」派の僕としては、やっぱベーシックインカムだとは思うんですよね。対象者を絞ることのない支援によって、最低限の支援を誰にも彼にも届けることが出来るから。何もしないよりはずっとマシだろうし。
もちろんそうした本当に必要な人たちに支援を届けることができればそれが一番いいんですよ。
しかし今回のようにそれを万人に――とまでは言わなくても民主主義政治である以上はせめて過半数程度には、世論の支持を得る必要がある。
納得させ、支持させられること……できるかなあ?
その意味でこれも民主主義政治の問題でもあります。世論を無視できるのであれば、そんな意見無視して最も適切な社会福祉を実行すればいいんですよ。しかし他ならぬ有権者が「もっとかわいそうな人たちを救済すべきだ!」と言い出したら……。
ここで多数派とするのに最大のハードルとなるのが「本当にかわいそうな人たちを助けたい」という他ならぬ善意によって説得が難しくなっているのは本当に皮肉なお話だと思います。まぁBIもまったく同じ理屈で潰されそうとは思うんですけど。
よりターゲットを広げた弱者救済を素朴な善意たちが邪魔するなんて、いやあなんて邪悪な仕組みなんでしょう。「酷い話じゃねぇか。酷い世界だろ、ここは」もう実質ゼノブレイドやん。



私たちは、育ちのいい人たちに「しょーもない人間がしょーもない行動をとり続けてそのまま貧困になる」ことを納得させることはできるだろうか?
――できないとしたらその次善の策は? 世論を無視する? 宗教? BI? あるいはメツしちゃう?
みなさんはいかがお考えでしょうか?