「本当にかわいそうな人たちを助けてあげた~い!」という素朴な善意によって舗装される道

君たちも考えるのをやめてBI論者になろう。




競輪場にもパチンコ屋にも行ったこのない「お育ちのよろしい」人が貧困問題に出会うと「解釈」を間違えるという話→「理解が出来ない」 - Togetter
afurikamaimaiさんのところお気持ち大事。 - afurikamaimaiのブログで見かけた面白いお話。


「お育ちのよろしい」人がただアホなことを言っているようで、しかし実は人間の善意についての本質を突いたお話だとは思うんですよね。
「しょーもない人間がしょーもない行動をとり続けてそのまま貧困になる」ということが理解できないというのは、まぁ確かにその通りなんでしょうけど、しかし逆から見れば物語さえあれば「(主観としての)かわいそうな人たち」を赤の他人であろうと救済しようとする積極的なモチベーションにも繋がるわけだし。むしろメリットデメリットで言えば前者の方が大きいんじゃないかな。
日本語で言えばそうした「憐み」の感情というのは、実際のところ人間のポジティブな一面なのでしょう。


しかし率直に見れば、やっぱり『物語』がなければ「救済する価値無し」と切り捨てる態度は、努力教というか新自由主義的というか生存バイアスというか公正世界信念のような割りとアレな部分でもあります。サンデル先生なんかが問題視している構図そのまんまだよね。
特にこうした構図がこれ以上ないほどあからさまなのがアメリカ社会でもあって、寄付や善意や助け合いといった取り組みを重視するリベラル州における、ホームレスやスラム街が異常な規模になっていることの逆説的な証明というか、格差社会アメリカの縮図にもなっているわけでしょう。
――まさに今回の件のように、『物語』のある貧困や被害者は善意あるリベラルな人々によってこれ以上ないほど劇的に救済されるものの、しかし大都市において足下に溢れまくっているホームレスや薬物中毒者たちは不可視かつ不可触な存在となって救われることはない。


しばしば、現実の貧困支援の現場でも言われるお話ではありますけども、まぁそこでは善意から救済しようとしても感謝されるどころか、むしろネガティブな感情をぶつけられることだって少なくない。そうした中で支援を続けていくのは単純に善意ではどうにもならないのがほとんどなんですよね。リターン無しでやっていけるのは聖人と称されるレベルでもある。
故にそこに僅かでも救いを、『物語』を見出したくなってしまう、という内心の理路は同じ凡人としてすごく理解できるんですよ。
その意味で、やっぱり今回の「お育ちのよろしい」人たちやあるいはアメリカのリベラルたちだけが特殊なのかというとおそらくそうではないし、やっぱり誰もが多かれ少なかれ感じている人間の本質というか個人の『善意の限界』という構図なのだと個人的に理解しています。


ちなみに昔からこうした貧困問題を避けては通れなかった私たちの社会ではありますけども、その解決策の一つが個人の善意によらない宗教などの信仰心由来の『使命』としての救済でもあるわけで。
そこでは神などの高次元の存在でワンクッション置くことで「救済する人」「される人」間のしがらみを緩和させ、個人の善意が折れても尚弱者救済を続けることができるようになっている。
政教分離を訴える現代社会でも尚、教会や寺院がそうした役割――しかしこれは下手をすれば最近話題の「カルト」と紙一重である――を果たし続けているのは皮肉なお話ですよね。
しかし生活から宗教を切り離すことを目的としてきたライシテな現代人たる我々にはそうした方法を大々的に行うことも最早難しい。やっぱロシアやトルコなどのイスラムなどの宗教国家こそが次の時代の主役になるかもしれんね。政教分離とかくそ!





かくして対話し説得するのを諦めた「考えるのをやめた」派の僕としては、やっぱベーシックインカムだとは思うんですよね。対象者を絞ることのない支援によって、最低限の支援を誰にも彼にも届けることが出来るから。何もしないよりはずっとマシだろうし。
もちろんそうした本当に必要な人たちに支援を届けることができればそれが一番いいんですよ。
しかし今回のようにそれを万人に――とまでは言わなくても民主主義政治である以上はせめて過半数程度には、世論の支持を得る必要がある。
納得させ、支持させられること……できるかなあ?
その意味でこれも民主主義政治の問題でもあります。世論を無視できるのであれば、そんな意見無視して最も適切な社会福祉を実行すればいいんですよ。しかし他ならぬ有権者が「もっとかわいそうな人たちを救済すべきだ!」と言い出したら……。
ここで多数派とするのに最大のハードルとなるのが「本当にかわいそうな人たちを助けたい」という他ならぬ善意によって説得が難しくなっているのは本当に皮肉なお話だと思います。まぁBIもまったく同じ理屈で潰されそうとは思うんですけど。
よりターゲットを広げた弱者救済を素朴な善意たちが邪魔するなんて、いやあなんて邪悪な仕組みなんでしょう。「酷い話じゃねぇか。酷い世界だろ、ここは」もう実質ゼノブレイドやん。



私たちは、育ちのいい人たちに「しょーもない人間がしょーもない行動をとり続けてそのまま貧困になる」ことを納得させることはできるだろうか?
――できないとしたらその次善の策は? 世論を無視する? 宗教? BI? あるいはメツしちゃう?
みなさんはいかがお考えでしょうか?