ぼくらの未来は白地図なんだ

最早よくある話過ぎて大きな話題にもならない話。

学校内で爆竹を鳴らし、注意した教師に暴力を振るう。こんな中学生の無法ぶりが報じられるなど、子どもたちの暴力行為が増えてきている。
これは悪意あるケースだが、最近は、遊んでいるうちに暴力にエスカレートするというのだ。

続発する子どもたちの暴力 遊びがエスカレート? : J-CASTニュース


ぶっちゃけて言ってしまえば、人間なんて教育されなければセックスのやり方さえ知らない訳で


よく歌詞にあるような「未来の白地図」なんてフレーズがあるけど、
全くその通りの意味で子供の教育についても同じ事が言える。
つまり、人間の社会的生活の為には、誰かが何かを教える事・もしくは自発的に教わる事でその白地図を埋めなくてはならない。


そんな無知で教育されてない状態の子供が、集団生活のマナーだとか感情抑制の方法を知ってるはずがないというのは、
極当たり前に到達する結論であって、「自ら(周囲から)学んだ」というのはむしろ成功例・幸運例として見るべきなんだと思う。


「ゲーム・マンガのせいでその成功例・幸運例から漏れた!」
もしくは、「人間関係が希薄なせいでの成功例・幸運例から漏れた!」
と文句を言うのは全く別の問題じゃないのかと。*1
成功例を出す事と、教えるべき事を教えなかった怠慢は別の問題。


日常生活に必要な物を、自ら学べないのなら誰かが教えるしかない。そんなのは当たり前の話で。
要は「誰がそれを教えなかったんだ?」という話。


今回のような例を産み出さないシステムとして、
第一段階として、良く言われる「親の教育」があって、そこで多くがクリアする。
第一段階で失敗した人が、第二段階の「学校教育」でそこをクリアする。
で、それさえも失敗してしまった人が上記のようなアレな例として登場してしまうわけだ。


結局彼らは、滑り止めの滑り止めにも失敗してしまった。


本来、最初の滑り止めである親の教育で失敗しても、次の滑り止めで合格すれば良かった。
しかし本来別の滑り止めシステムであった「親の教育の失敗」と「学校教育の失敗」がこうも一緒に起きてしまった事が最大の不幸なんだと思う。


まぁ「学校教育の失敗」も結局は親のせいだとは個人的に思うけど。
別システムであるはずの学校教育に介入したのは親達なので。で、両方とも破綻する例が生まれてしまったと。


さて、
教わらなかった奴が悪いのか、
教えなかった奴が悪いのか、
教えるシステムが無くなった事が悪いのか。

*1:この前提さえ間違ってるとは思うけど、ここでは別の問題なので略