世界はそれを「いじめられる奴が悪い」と呼ぶんだぜー!

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またやってる……。


なんだろうなぁ。「俺を倒しても第二第三の勇者がきっと魔王を倒す!」的なアレなのか。単にレミングスやってるだけなのか。あるいはジャパニーズカミカゼ。もしくは週刊オブイェクトをギャフンと言わせたら賞金進呈!リアリズムと防衛ブログでも可!みたいなレースがどっかにあるのか。

勿論サンボマスター的な意味で

こうした安全保障を考える時に忘れてはいけないのは、「攻撃を自重する事」も「相手に隙を見せない事」もまったくの同価値である事、だと思う。
言い換えれば、「相手を攻撃する事」と「自分の身を守ろうとしない事」は、殆ど変わらない。どちらがより悪いとかじゃない。どっちも同じ位バカなこと。


良く子供のイジメの問題とかで「いじめられる方も悪い」とかそんな趣旨の発言をして叩かれてる人が居る。その人が叩かれるのはまぁ当然と言える。「子供」は我々大人が保護しなければいけないものだから。その事を棚に上げて保護対象が悪い、というのは責任放棄でしかない。
しかし世界はそうではない。
もし国の安全を疎かにして誰かに殴られた時、誰かが助けてくれるのか? と言えば、無根拠に助けてくれる他所の国など絶対にない。例えば日本を「絶対に助けなければいけない義務」がある外国なんて今までも無かったし、これからも多分無い。国家に永久の友はいない。究極的に自分の事は自分でやるしかない。だから安保同盟という強制力を少しでも持たせようと涙ぐましい努力を続けているわけだ。
「○○君が悪い事しました!」と言って無条件に周囲が助けてくれるなんて国際社会ではありえない。その時に周りから貰えるのは「悪い事される奴も同じ位馬鹿だよね」と思われる事でしかない。勿論口に出したりはしないが。
だから世界は無政府状態である、と言われる。世界中の国家の誰もが利己的で、それ以上に権威がある存在などいない。それが過去500年続いている国際体制の基本原則。


殴られるのが嫌ならば、自分で身を守るか、殴られないような状況を作っていくしかない。
その意味で、「相手を攻めない事」と「自分の安全を疎かにする事」をイコールで考えるべきではない。殴る奴と何もせずに殴られる奴は、国民の血で贖うと言う点で全くの、どちらも馬鹿であるという罪なのだから。