私たちは良い時代に生きているよね

ウソをウソであると見抜くことが出来る時代。


“昭和天皇万歳”集会で――舞の海氏が排外発言 (週刊金曜日) - Yahoo!ニュース
わーたのしそー。まいのうみはれいしすと!
舞の海は排外発言をしたのか?週刊金曜日の暴走か?動画でチェックするしかない - QUIET & COLORFUL PLACE- AT I, D.
nix in desertis:舞の海講演会について(文字起こし有)
で、実際の動画ではこういうお話になっていると。まぁふざけたお話ですよね。売るためにそうしたのならばクソだし、何らかの政治的意思をもってそうしたのならばもっとクソであります。


でも現代のこうした一部メディアだけがクソなのかというと、別にそんなことないわけで。右も左も関係ないし、日本だけに限ったお話でもないし、ついでに現代に限ったお話でもない。それこそ最初期の市民革命であったフランス革命の時から、当時の反王室な新聞はアントワネットを浪費家だの同性愛だの近親相姦者だのあることないこと書きまくっていたわけで。目的の為ならば手段は正当化されると考えていた人たち。
まぁそんなことを言ったらユダヤ人のそれも、アカのそれも、セルビア人のそれも、フツ族ツチ族のそれも、ジプシーのそれも、あるいはご近所の異宗教異民族の人たちについてのデマや扇動も、きっとその悪意に満ちた『デマ』を流布していた人たちの少なくない人たちが「善意から」やっていたんだとも思いますけど。
「(正義の為ならば)多少のウソならば許されるのだ!」なんて。解りやすいレッテルを貼って流れを誘導しようとする人たち。それはしばしば歴史が教えてくれるように『真実』である必要すらないんですよね。
その意味で、あの時のバカげた扇動に乗っかった結果人を死なせまくった社会を単純に笑うことができないように、この『週刊金曜日』の報道――というか「デマ」というかぶっちゃけ「扇動」――に見事に釣られ舞の海さんを非難しまくった人たちを単純に笑うことはできないよなぁとも思うんですよね。正しく彼らは、まさにあの時の素朴な人々と同様に、釣られただけ。
私たちは情報取得の手段が限られていればいるほど、そんな供給側の意図的な扇動やデマに釣られてしまうことは避けられないのだから。それはやっぱり良い意味でも悪い意味でも利用される。だからこそ、現代社会における『メディア』というのは良い意味でも悪い意味でも決定的に重要なんですよ。それは無数の人を感情を操るツールでもあるから。


「先祖返り」する習近平体制 | ふるまい よしこ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
例えば現代中国さんちというのは政府が率先してその効果的利用の最先端を走っているわけで。いつか見たディストピアな風景の現代版として。

 また、4月末には「女性ジャーナリストの高瑜さんと連絡が取れない」という人権弁護士のツイートをきっかけに、高瑜さんが行方不明であることが明らかになった。その後やはり当局が彼女を拘束していたことが分かり、5月8日になって国営テレビ局、中央電視台の番組で高瑜さんと見られる女性(顔にはモザイクが掛かっており、断言はできないが、高瑜さんを知る人たちは彼女自身だと感じている)が「自分がやったことは違法で、その処罰を受け入れる用意がある」と語る様子を放送した。

 この「容疑者とされる人物」が「中央電視台テレビのカメラに向かって自分の有罪を証言する」というパターンは昨年夏くらいに微博有名人「大V」の別件逮捕(「『女性関係』という道徳ツール」 )で使われて以来、特にネットなどで注目される人物の拘束後に使われ続けている手法だ。テレビという大衆的な手段(だが、それは国営放送という政府機関の一部だ)によって彼らに対する民間の信頼感を失墜させるためだと見られている

「先祖返り」する習近平体制 | ふるまい よしこ | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

個人的にこの中国さんちのやり方と、上記『週刊金曜日』のやり方は左右や政府反政府の違いはあれど同じ地続きにあると思っています。そしてそれはその存在自体が証明しているように、やっぱり効果的なのです。



今はこうして検証できるだけ、おそらく人類史上最もマシな時代だと言える。だって今回の舞の海さんの発言に関しても、後段に上げたリンク先などで検証されるように、同じソースを別の視点から見直すことができるわけで。表現の自由など市民的自由というのは色々ありますけども、しかしこの進歩だけは決して手放してはいけないと、今回の件を見て改めて思いました。


いやぁ私たちは良い時代に生きていますよね。