「ググレカス」の先にあるもの

『文明の接近』読んでて思ったこと。


この中で著者のトッドさんは「「識字率」が上がる事によって従来の権威関係が不安定化し、継いで多くの場合に政治的権威の崩壊を引き起こす」と言ってる。うん、まぁそうなんだろうとは何となく理解できる。知ってる人と知らない人が同居する。それまで知らなかった事を知ってしまう事の社会への衝撃。それを新聞や文献を「識字する」事によって引き起こしてしまうと。


そう考えると「ググレカス」もそれと同じ位にインパクトある事なんじゃないかな、と。
検索をすれば、(高度な・深い話はさて置き)表層的なレベルの情報であれば殆ど全て網羅できる。しかも数分、あるいは数十秒で。伝達効率を見ればかつての「口述から識字へ」と同じ位上がってるかもしれない。誰かがインターネットの本質は「検索する」事だって言ってたけどまさにその通り。検索すごい。ググレカス


かつて私たちも「識字率」で通過した、知ってる人と知らない人との軋轢。それが今度は「検索」によって再現される。「検索すること」は「読めること」と同じ位人類にインパクトあるんだと思う。*1

気付けばそこにある未来

自分のたぶん一番古い記憶は『攻殻機動隊』の電脳とかな気がするけど、常時データベースか何かにアクセスできて情報を引き出す、みたいなSFのアレ。あれってもうほぼ実現してるんですよね。ちょっと前にグーグル先生のCMでもやってたけど。携帯なりスマートフォンなりミニノートなり、少なくとも都市部においては、接続環境さえあればほぼ常に「検索」できる。ほんといつのまに、って感じです。


常に検索できて、ある程度の情報は引き出せる。SFもびっくりですよ。


ならば、常に情報を引き出せるのなら、自分自身で「知っておく」事に意味があるのか?


ウィキペディアさん(笑)」の本当の恐怖

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100115-00000000-woman-ent
ちょっと前にこんな話を見たんです。

 また、自分の専門分野についての知識を垂れ流すタイプの男性も多くいて、これも一方的という点では自慢話と同じです。こういう博識タイプの人は「物知りの人ってかっこいい」「自分の知らないことを教えてくれるから得した気分」と評価された時代もありますが、これだけ情報が簡単に入手できるようになった現代では、「ウィキペディアさん」などと揶揄され急速に株を落としている印象です。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100115-00000000-woman-ent

ここでの女性ウケとかの話はともかく、「ウィキペディアさん」とか何気にすごいこわい事言ってると思う。


誰でも同じ情報にアクセスできるのなら、その情報自体に価値はほぼ存在しない。知ってるだけじゃ意味がない。知ってるという当然のスタート地点から、何ができるか何が言えるか何を思うか。
昔は知ってるだけで良かったのに。それだけで誉められたのに。そして更に前は「読めるだけ」で良かった。だけど今はそうじゃない。「読めるだけ」じゃ意味が無い、「知っている」だけじゃ意味が無い。知っているだけならそれこそウィキペディアさんで充分だと。


そんな風に考えると、「常に検索できて楽そうだなぁ」というダメSF脳が夢見た世界は、実はそれ以上に脳を使わせる事を強要するおっそろしい世界だったと。それを知っている、覚えているだけでは価値がない。当然の如く、その一歩先へと思考を進める為には、検索以前に知っていて覚えている事が前提な話なわけで。
そして勿論(自分も含めて)、そんな事が人類全てが出来るようになるとは思えない。かつて単純作業な肉体労働から解放された人類は、次は簡単なレベルでの知的活動においても解放される。余った・適応できなかった人間はどうするんだっていう。



結局の所、概ねとしてこうした道具の進化の意味するところは「人間」の効率化だったわけで。「刃物」はそれを切るのに必要な人間を減らしたし、「車輪」はそれを運ぶのに必要な人間を減らしたし、「機械」はその作業に要する人間を減らした。
今回の「検索」という発明の進化は同じように人間の(一部の)知的活動に要する人間を「足切り」という意味で減らす。おっそろしい話です。


ググレカス(笑)、なんて笑って言ってられるのは今のうちかもしれないね!

*1:結局こういう事が少し前に叫ばれてたまさに「IT革命」なんだろう、とふと思い直して見たら、全然違ってた。泣いた。こっちにすればいいのに。