悪評も評なり

最近また話題に出てきたゴールドマンさんちのお話。


そうしたアメリカの大手投資銀行が再び叩かれ始めたのは結局の所、オバマさんの人気取りとしか見えないわけで。
まぁそれを言ったら野党の共和党オバマさんを過度の社会主義者と批判しているのと合わせて、片方は行き過ぎた資本主義を、もう片方は行き過ぎた社会主義者と叩いているよくある不毛な政争の構図。というなんかもう普通の事しか言えねぇ、的な絵しか思い浮かばなくて自分の日記書きの限界を感じます。


と思いながらネットを眺めていたら面白い事を言ってる人が居たので引用。
【コラム】嫌われ者ゴールドマン、でも大事な人には愛されてる−リン Bloomberg.co.jp

 伝わってくるメッセージはいたって明確だ。大量の否定的ニュースも事件も、ゴールドマンや大手銀行の評判を傷付けてなどいない。
 ここから導かれる結論は2つだ。
 第1に、われわれは自分たちの銀行が攻撃的でがつがつしていることを望んでいる。ボディーガードか離婚専門の弁護士を雇う場合のことを考えてみよう。「なあなあ」ムードで親切、対話による合意形成を目指すと約束してくれる人間、決して人質をとったりしないようなタイプが好ましいと思うだろうか。現実世界では、チームの仲間としてはできる限り手に負えなくてタフな人間が望ましい。投資銀行も同じことだ。
 第2に、評判や企業の社会的責任についてご託を並べてみても、本当に重要なのは仕事ができるかどうかだけだ。ローマ皇帝ネロや蒙古のチンギスハン、シカゴのアル・カポネが集まったような企業はきっと、たっぷり仕事を受託できるだろう。これが投資銀行にとってのモラルだ。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920021&sid=avpUtJTChMFA

つまり(少なくとも)彼らにとっては、強欲こそが美徳であると。
それはそうかもしれない。投資する人は金を増やす為に彼らにそれを預け、そして彼らがそれに成功する事を望んでいるのだから。彼らはそうする事を「望まれて」そこに立っているのだ。確かに一つの資本主義の真理ではある。温和な弁護士や温和なボディガードよりも、自分達の目的達成の為には、より過激な弁護士やボディガードが望まれるように。
かつて批判されたような彼ら自身が受け取る膨大なボーナス等から見れば強欲であるといえる、しかしそれ以上に、彼らが強欲である事を望んでいる人達がいる。

 しかし実を言えば、投資銀行が事業を続けるために本当に重要な相手は2つだけだ。
 大学出の頭がよく野心的な若者たちを集め、大手企業経営者に評価してもらうことができる限り、一般大衆の意見などたいした問題ではない。
 そして覚えておこう。銀行は評判修復に努めているが、あまりにも善良な評判を得ることも望まない。扱いにくく強欲な相手と見られることは、本当は銀行にとってマイナスではない。バンカーはそのためにいるのだから。(マシュー・リン)

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920021&sid=avpUtJTChMFA

そしてつまりそんな悪評こそが彼らの次の仕事の種となると。なんというかどうしようもない人達(半分誉め言葉)という感じですよね。
がんばれゴールドマン。あ、ゴールデンマンっていうとディックぽい。



さて置きどうでもいいんですけどタイトルの「悪評も評なり」の使用方法が合ってるのか解らなかったので、元ネタをググってみてもさっぱりでした。誰かヤフー知恵袋辺りで聞いてみるとか直接ばっちり教えてくれるかすると嬉しいです。