安全を! 一心不乱に安全を!

そんな投資家たちの心の叫びについて。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35521
ということで世界的な経済危機に陥って以来、私たち日本の国債も代表的な『安全資産』と見なされるように――まぁそれもものすごい皮肉な話ではありますけど今回はさて置き――なって久しいわけであります。とりあえず安全な国の国債を買っておこうと。まぁ気持ちは解らなくはありませんよね。将来どうなるかわからない以上、より安全な所に避難させておこうと考える人たち。

 ゴールドマン・サックスエコノミスト、馬場直彦氏(東京在勤)は、シャープレシオで見た場合、30年物日本国債のリスク調整後の利回りは同じ30年物の米国債の約3倍、ドイツ国債の4倍の高さだと指摘し、日本以上に安全な避難先はないと主張する。

 「この市場には、有効な一時的避難所になれるだけの規模と流動性がある」と馬場氏は言う。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35521

ここでは米国債ドイツ国債よりも安全だと比較されていますけど、しかしこうした日米独の国債金利は、ほとんど史上最安値というレベルにまでなっているんですよね。ギリシャやスペインやイタリアのそれとは対照的に。危険なところはより危険だと判断されるようになり、益々安全(であるとされる)なところへ逃げ込む人たちが増えていく。いやぁ見事な負の連鎖であります。
本来そのお金が必要だったのは「危険だと判断された」上記スペインのような国だったのに。しかし私たち日本の方では「いや、こんなに買われても正直困るんですけど……」なんて言ってしまう。たまに食材を無駄にして「アフリカではそれが食べられずに苦しんでいる人が居るんだ〜」的なよく解らないことを仰るかたが居ますけど、しかしこの事例の方が適切な気がします。
資金不足に苦しむ国がある一方で、大量の資金を持て余してしまう国がある。世界の不均衡ここに極まれり、という感じですよね。


さて置き、ケインズ先生曰く「自分の金を預けようとする人間は二重の不安に苛まれることになる」と仰っています。つまり、私たちは可能な限りの低リスクと、そして可能な限りの高リターン、を同時に求めてしまう。だからこそ、資本主義経済は適切に循環し機能するとも言えるんですよね。安全と利潤を同時に追求する私たち。それが普通の状態であれば。
ところが経済危機と共に人びとに決定的な不安が生まれてしまうと、私たちは当然の結果としてこうして安全性ばかり求めてしまう構図が出来てしまうと。それが一時のトレンドで済むならともかく本流になってしまった。そりゃ「資本主義経済が死んだ」なんて言われてしまうのも無理はありませんよね。だって誰もが『安全さ』だけを追求したら、誰もリスクなんて取らなくなってしまうんだから。かくして人びとは経済の基本的な原則から離れていってしまうと。


http://econdays.net/?p=6760
ちなみに、クルーグマン先生なんかはこうして誰もリスクを取らなくなる流れに対して、誰かが率先して責任(リスク)を負う態度を示すべきだ、といつもの調子で熱く述べております。

ただ,1931年のほんとに重大な教訓は,政策放棄の危機に関するものだ.もっと大きなヨーロッパの政府なら,オーストリアがその問題をうまく乗り切る手助けができた.各国の中央銀行,とくにフランス銀行と連銀は,ダメージを押さえ込むためにもっと手を打てた.でも,危機をおさめる力をもった誰一人として,進んで打席に立とうとしなかった.行動がとれたしとるべきでもあった人は揃いもそろって「いや,それはヨソの責任ですんで」と言いはなった.

これこそ,いまヨーロッパとアメリカの両方で再び起きていることだ.

http://econdays.net/?p=6760

それをしないアメリカやヨーロッパ諸国は責任放棄であると。誰かが最初に手を挙げるのをみんなが待っていながら、しかし実際誰一人自分が最初に手を挙げるつもりもない。よくある構図ではありますよね。でも私たちが望んだ多極世界ってつまりこういうことなんでしょう。
個人的にはこのクルーグマン先生のお言葉ははやっぱりいつものごとく「もっと熱くなれよー!」を見ている感じに近いです。


かくして益々目先の安全性だけに囚われていく私たち。でも仕方ないよね、だって人間だもの。