「もう借りられない」という真の恐怖

というわけで支援する事はようやく決まった物の、まだまだギリシャ財政騒動の本番はこれからだぜ!な話。なんかもうどんどん戦線後退して今や雰囲気は「デフォルトだめゼッタイ」という話になっているのがなんともかんとも。


http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042301000932.html
とりあえずこれで当面の危機は去った。少なくともギリシャ国債の次の大型償還期限を迎える5月19日は乗り切れる。で、その後は?と聞かれると、「うん、まぁ、あと二,三年は大丈夫じゃないかな多分」的な話らしい。そしてそんなこんなをしてる間にも、ギリシャ国債金利は高値で推移したままになっている。ギリシャとEUのおれたちの戦いはこれからだエンドだと。


さて、実際の所彼らのような、言ってしまえば借金で首が回らなくなっていく国家の、真に恐れているのは借金が返せない事ではない。個人の債務に「自己破産」という最終手段が用意されているように、主権国家も同じように常に「債務返済を放棄できる権利」を持っている。
だから返せなくなったって別に死ぬわけじゃない。放棄しちゃえばいいんだから。勿論後の事を何も考えなければ。
しかしアフリカ等の一部諸国のような途上国が、あるいは慈善活動家*1のような人々が、今でも先進国に対して「債権放棄」をしろと迫る。何故か。
それはもし仮に自身でデフォルトを宣言してしまったら、もう誰も金を貸してくれなくなってしまうから。そんな事をするような国にこれまで通りに金を貸してくれる人は当然居ないから。
別に借金が返せなくなったって、個人ではともかく、国家の命運が直接どうにかなるわけではない。そうした立場にある人々が真に恐れているのは「金が借りれなくなってしまう事」であると。だからこそ、重債務国の中の人や、あるいはその利益を代弁する活動家の人たちは、債務を帳消しにしろと迫っている。
同様に、ギリシャが、いやどちらかというとユーロ圏の中の国ががんばっているのはギリシャの借金をどうにかする為というよりもむしろ、ギリシャがなんとか今後も国債という借金を続けられるような環境を作ろうとしている。ギリシャという失敗例を身内から出さない為に。そして微妙に失敗しそうだと。


で、当のギリシャ国民はというと、未だにゼネストやってる。こいつら大物過ぎます。

*1:なつかしのホワイトバンドとか